崇敬神社(すうけいじんじゃ) | laphroaig-10さんのブログ

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◎崇敬神社(すうけいじんじゃ)


江戸時代、神宮への崇敬の念から、人々は伊勢講(いせこう)と呼ばれる集まりをつくり資金を皆でため伊勢参詣を目指しました。神宮の近隣では農耕が一段落した時期に皆でお参りをしたり、遠い地域では代表者を決め交代で伊勢にお参りしました。神宮の他にも大きな神社には、多くの場合各地に講がつくられていました。出羽三山(でわさんざん)、大山(だいせん)、富士浅間(ふじせんげん)、御嶽(おんたけ)、熊野三山(くまのさんざん)、金刀比羅(ことひら)などが有名です。明治以降、講が発展したり更なる組織化をとげ、講社、崇敬会に発展した場合もあります。このように、住んでいる地域ごとにお祭りしている氏神(うじがみ)・産土神(うぶすながみ)以外にも、人々は色々な神社に思いをはせて、お参りをしたり、お札を戴いたりしています。現在、全国の神社を包括する神社本庁(じんじゃほんちょう)では、神社ごとに地域を定めその地に住む人を氏子と定義し、その他の信奉者(しんぽうしゃ)を崇敬者と定義しています。崇敬者として信仰している神社を、崇敬神社と呼びます。また、氏子や氏子地域をもたない神社を崇敬神社とよぶ場合もあります。


【参考文献】

岩井洋「氏子」「講」(國學院大學日本文化研究所編『神道事典』弘文堂、平成六年)

薗田稔「崇敬者」(安津素彦・梅田義彦監修『神道辞典』堀書店、昭和四十三年)

神社本庁教学研究所『神道いろは―神社とまつりの基礎知識―』(神社新報社、平成十六年)

佐野和史「崇敬者」「奉賛会」(薗田稔・橋本政宣編『神道史大辞典』吉川弘文館、平成十六年)