皇學館大学創立百三十周年再興五十周年記念祭典祝詞
是の処を厳の斎場と祓へ清めて、天津神籬刺立て招奉り坐奉る掛けまくも畏き
天照坐皇大御神の大前に斎主皇學館大学教授本澤雅史恐み恐みも白さく、
常世の浪の重浪帰する伊勢の国倉田の山に聳建つ皇學館はしも、明治十五年四月三十日、久邇宮朝彦親王、皇国学の基を立て給はむと「今般、林崎文庫へ皇學館設置候条、此の旨相達し候事」との令達を下し給ひしによりて、学びの扉は開かれ、明治三十三年二月十八日、賀陽宮邦憲王、神宮皇學館に台臨み給ひて下し給ひし「神宮皇學館教育ノ旨趣ハ、皇国ノ道義ヲ講ジ、皇国ノ文学ヲ修メ、之ヲ実際ニ運用セシメ、以テ倫常ヲ厚ウシ、文明ヲ補ハントスルニ在リ。」との令旨を学びの道の元つ心と仰ぎ奉り持斎き奉りつつ、惟神の大道を学び修むる世に類無き学園にして、昭和十五年四月には神宮皇學館大學とも成りしが、過ぎし戦争の傷手を負ひて暫しが間学舎の門を鎖す事とは成りぬ。然は有れど、皇大御神の高き尊き大御恵を蒙り奉りつつ館友を始めて諸人等事議り往く随に、昭和三十七年四月、皇學館大学の名の下に美しき元つ姿に立還り、更には大学院、専攻科、高等学校、中学校、又社会福祉学部、教育学部、現代日本社会学部をも併せ設け、皇国学の道は弥進みに進み、学舎は精華寮南寮・神殿、総合体育館、教育研究棟、新研究棟と年々に満ち足らひて今に至りぬ。学舎の姿は時として変はれども其の礎たる建学の精神は聊も揺るぎ無く受け継がひて、今年はしも創立百三十周年再興五十周年を迎へぬるに依りて、今日の生日の足日の朝日の豊栄登に、学校法人皇學館理事長佐古一冽い主祭者として、学長清水潔、殊に学館に由縁も深き久邇邦昭、賀陽正憲、又高等学校中学校長中村貴史を始めて、関係ふ諸人等、大前に参集侍りて、斎まはり清まはりて御食御酒海川山野の種々の味物を献奉りて御祭厳しく仕奉る状を平らけく安らけく聞食して、奏で奉る歌舞の技をも米具し宇牟賀しと見曽奈波して、又皇大神宮に関はる論文集・研究文献目録、大学史を始めて種々の図書を世に著し、神社名宝展をも催す状を諾ひ給ひて、今ゆ往先皇大御神の広き厚き恩頼を蒙り奉りて、諸人等身も心も健全に力を協せ心を一つに、教授等は古を稽へ今に照らして研究教育の業に勤み励み、学生等は明き浄き真心以て学び修めて、直き正しき神随の道を歩ましめ給ひ、此学館を五十鈴の川の清き流れの弥遠永に、高天原に輝ける千木の弥高に立栄しめ給ひふべく、夜の守日の守に守り恵み幸へ給へと恐み恐みも白す。(平成二十四年四月二十九日奏)