◎本澤正幸大人命廿日祭詞
*父の祝詞を『祝詞全集』用に神社新報社へ送りました。その際、私の祭詞も一篇しのばせました。すると掲載されてしまいました。
此の霊床に斎き奉る故宇佐神社宮司本澤正幸大人命の御霊の御前に謹み敬ひも白さく、
汝命は昭和二十七年ゆ宇佐神社宮司として三十七年の長き間、赤き心の一筋に恪み勤み、宇佐の御社興しの業を弥進めに進め、御社殿をも修理はむと次々に計画を定め、千々に心を砕き給ひければ、玉藻よし讃岐の国内にありて大神の大神徳は日に異に輝きを加へぬ、しかのみにあらず、公にも私にも命を知る限りの人、その人柄を仰ぎ慕ひて、神職の中の神職と尊び讃へぬ者なく、千代に八千代に神仕座て、神の道弥広めに広め給へと期待まぬ人も無かりしに、思ひもかけず二月二十一日に癒ゆることなき病に臥給ひ、御身体の衰えゆくをも厭ひ給はず、左の御手に赤き血を注ぎつつも、右の御手には御筆を執らせ給ひ、硯の海に心を和ませ給へども、医の業は験なく見守れる家族等も為む術なく、病の状俄に変わらせ給ひ、不意くも六十二歳を顕世の限りと身罷りましぬ。
熟思ふに、芳はしき花に濃茶薄茶を奉る御祭執り行はむとせし朝、願はくば亀鶴の桜見むと思ほし帰り来ましぬと、各々己が心に言い聞かしつれど、親族家族は驚き惑ひ手走り騒ぎて、神葬々奉りし其の日も慌しく夢の中にも去り逝き、忌み篭るべき間にあれど、汝命の予ての事依さしの随に、諸人等肝向ふ同心に相あななひ鎮花祭仕へ奉り、十日の御祭の日も過ぎ行きて、日並移ろひ心静まる随に、現の汝命は面影に浮かび出来て、夜昼分たず偲び奉り慕ひ奉りつつ惜しみ悲しみてあれば、時の移り去り往くことをも知らぬ間に、早くも廿日の御霊祭仕へ奉る日とはなりぬ。
故、内外の人々数多参来集ひて、御前に宇佐の杜に繁に栄たる香はしき真榊、又咲匂ふ千種の花を左右に差立て装ひ奉り、海川山野の味物を始めて、殊に汝が好み給ひし特級の御酒は甕の腹満て並べ、記代子が求めし入谷の手打うどん、雅春が購なひし煙草をも厳の平瓮に高成して、献る御食津物を赤丹の穂に聞食して、
銀の御白髪清く豊けく笑まひ給へりし現の御姿を目交に偲び奉りつつ八十玉串の執々に拝奉る状を、あはれとも所見しうむがしみ享け給ひて、今は幽冥の大神等より受け給へる広き厚き大御恵を親族家族に分ち給ひて、各々の家の栄を宇佐山松の常磐に堅磐に守り給ひ、氏の流れを五十鈴の川の絶えせぬ水の一筋に、遠く久しく立続かしめ給へと、謹み敬ひも白す( 平成元年四月二十二日奏)