◎花と祭
▼今日「花」は、四季折々の観賞の対象や感謝のしるしとしての贈答品さらには芸術としての華道などで使われていますが、古来日本人は美しく咲きながらも、やがて散る運命を持つ「花」に、人生や四季の移ろいを感じ取り、また「花」にさまざまな意味を託して文学論や芸術論を展開してきました。文学の世界では、「実」という真情に対して、その表現技巧を「花」と呼び(『古今集』序)、また能楽論の世界では、観客を面白がらせる芸の上の魅力を「花」と捉え、「心」と「技」との鍛錬と工夫を重ねることによって体得できるとされています(世阿弥『風姿花伝』)。
▼「花」に託された意味は、祭の世界にもみられます。大神神社で斎行される「鎮花祭」の由来は、古代の国家的な祭祀を規定した「神祇令」に季春(三月)の祭として登載されており、その注釈である「義解」には、「大神、狭井の二つの祭なり。春の花飛散する時に在て、疫神分散して癘を行ふ。其の鎮遏の為に必ず此の祭有り。故に鎮花と曰ふ。」とあり、春花が散る時に疫病が流行するのを防ぐためと説かれています。
▼ところが、この「鎮花祭」は、本来稲作に密着した祭であったとの考えも出されています。すなわち、「花」といえば一般には「桜」をさしますが、桜の花は稲の花の予兆として考えられており、それが早く散ることは稲の花がまだ充分に実を結ばないうちに散ることを先触れするものだと信じられていたそうです。これは、類似は類似を生むという古代の呪術的思考でもあります。そこで稲の豊作の願いをこめて、この桜の花がじっとそのまま散らないようにと祈る祭を行ったのが「花鎮め」の祭と考えられるようになり、やがて、稲の花が結実しないうちに飛散させる暴風は悪神のしわざと考えられ、そのような悪神は同時に流行病をもはびこらせると信じられるに至り、「花鎮め」に疫神鎮圧の願いも込められるようになったとされています。
▼「花」といえば色とりどりの花束に目を奪われがちな昨今ですが、稲作を生業とした古代人の、自然の営みに対する感受性が生み出した「鎮花祭」には、我々の命の糧である稲の豊作への祈りの細やかさがうかがえます。
*私の奉務神社でも昭和55年4月より「鎮花祭」を斎行しております。