◎祓(はらへ)とは
罪・穢(ケガレ)・病気・災厄などをはらい除く行事を一般に祓(ハラヘ、後世ハラヒとも)と称しています。古代社会では罪を犯した者に対して、その罪に応じた財物(祓つ物)を出させて、罪の贖いをさせて、その罪を解き除く儀式でした。その起源は、神話にスサノヲノミコトの千座置戸の祓として語られています。したがって、水によって身を洗い清めて穢を除去しようとする禊(ミソキ・ミソギ)とは、元来は別の行事でしたが、万葉集では両者は並び歌われていますし、平安朝以降、両者は混同されます。
社会的・宗教的贖罪という性格を持つハラヘも孝徳天皇朝には、個人的・私刑的なハラヘが行われ、他人に対して勝手に贖罪を強要し、祓つ物も私物化するという弊害を生じるに至り、大化の改新の政府は厳重に禁止しました。
このような古いハラヘの行事に新しい精神を与えて、国家的・宗教行事として復活・新生させ、国中の罪を祓い清めようとしたのが、天武天皇朝に創始されたと考えられる「大祓」です。やがて大祓は六月・十二月の晦日に定期的に行われる朝廷の儀式としてなりました。朝廷の大祓で百官に対して宣読されたのが「大祓詞」であり、今日まで読み継がれています。その中には祓われるべき罪を大きく天つ罪と国つ罪とに大別して列挙していますが、最も重大な罪は農耕妨害罪とされています。
大祓詞は専ら中臣氏によって読まれるところから「中臣祓」などとも呼ばれ、朝廷で百官に読み聞かせる文体から神前に申し上げる文体に改められ、私的な祈祷の際にも盛んに読まれるようになりました。さらに中臣祓は、中世以降は、明浄正直を尊ぶ神道の中心思想を占めるにようになったのです。