こんばんは
よしだあきこです。
今夜は個人的なことを書かせていただきます。
アメンバー記事にしようか迷いましたが
今日はオープンに(笑)
秋晴れのいい天気の日曜日。
今日は私にとって、特別な日でした。
というのも・・・
「母の命日」だったんです。
母は平成5年10月4日の朝方息を引き取りました。
胃がんでした。
約10か月の闘病生活。
当時私は24歳。
前年に父も亡くなっていたので
法事続きで
とにかく毎日が必死だった・・・気がします。
母が亡くなってから、父と母のダブルの法事は
すべて私が仕切ってきました。
それも・・・昨年父の23回忌
今年、母の23回忌で
本当の節目を迎えたような気がしています。
昨年は姉と2人だけで、椿山荘ランチをしました。
今年は特に何もする予定はなかったのですが
母の妹さん(叔母)が
千葉から2時間かけて、命日にお墓参りに来てくれるというので
私と姉も墓前で待ち合わせをして
叔母に会うことにしました。
なかなかもう親せきに会うってことも
少なくなってきたので
こういう機会はありがたいですね。
叔母には今年3月にも会っていたのですが
姉には1年ぶりに会いました(爆)
あ、別に仲が悪いわけではないのですが
私と姉は10歳違うので
昔からべったりしていません
普段も特にやりとりもろくにしません(爆)
姉よりも姉の子供たち(姪)とのほうが
よっぽど私は会います
とそれはいいとして。
今日は墓前で3人で手を合わせたあと
お茶へ行きました。
思えば、叔母と姉と私は
母の亡くなる7日前から
ローテーションを組んで
病院に交替で泊まっていました。
私は当時独身オーエル。
土日のお休みだったため
仕事が終わって金曜日に駆けつけたり
なんてことをしていました。
お互いが母のそばにいたときの様子を
ノートに記録して
次の人が戸惑わないようにもしていました。
そのノート、まだ私の手元にあります。
たった数枚の記録ですが
捨てることは決してできません。
母が亡くなって、ノートを開く必要がなくなり
もう見ることはないかもしれないと思ったことも
ありましたが、今日、久しぶりに開いてみて
確信したことが、ありました。
できることは、すべてやっていた。
ということ。
身内を見送った人なら
きっと誰もが持っている、
もっと何かできたんじゃないか
という後悔の念。
私もずっと抱えていました。
特に当時、姉は結婚し海外在住で
私だけが母のもっともそばにいたので
何をするにも、私にかかっている・・・という場面が多く
決断しなくてはいけない機会が多かったのです
もちろん、当時も姉や親せきに相談しながら
事を進めてはいました。
それでも、その思いを払しょくできないまま
心の奥底に沈んだまま、年を重ねてきてしまったなと
2年ほど前に、強く感じ・・・
少しずつですが、周りの手を借りて
このタイミングで、やっと手放せた気が、今はしています。
親って、生きていても亡くなっていても
壮大な影響を子供に与えます。
自分が親になって、本当にそれは感じます。
そして、自分がセラピストとして
たくさんの方たちが抱えている
「親子であるが故の悩み」も
全部つじつまが合うなと感じています。
自分がどう生きたいのか
最後はこれに尽きるのかな。
それは決して親と仲良くしろとか
親を愛せとかそういった表面的なものでは
ありません。
けど、もし「許す」ことができるのなら
少しはあなたが楽になるのかも・・・ね。
相手を許すことは「自分を許す」ことにつながるから。
話を戻しますね
結局、叔母と姉と2軒はしごして「お茶」をしました
当時の記憶がそれぞれ曖昧な部分もありましたが(笑)
それでも、母の思い出話ができるっていうのは
うれしいもんです
「故人を偲ぶ」っていうのは
こういうことなんでしょうね
「偲ぶ」とは「人を思う」と書きますしね。
いつかは自分も「偲ばれる」
その時が来るまで
前を向いて、生きていきたいなと思います。
でもね、それもこれも、周りのみなさんあってこそ
今日という日を、本当にありがとう