こんばんは。
よしだあきこです。
今週はお盆期間でもあるので
「いのち」をテーマに
個人的内容も絡めて、書かせてもらおうと思います。
の第2弾です。
本来ならアメンバー的内容なので
興味のない方はどーぞ、遠慮なくスルーしてくださいね
えっと、私の仕事の軸は「触れること」なのですが
現在はカラーセラピーがメインとなっていて
どちらかというと人の「心に触れる」ことが多いです。
でも少し前は、マッサージがメインで「人に触れること」が
ほとんどでした。
どちらがいい、悪いではなく
どちらも大事で、欠かせないものなんだけど
この「人に触れる」という行為で
私には過去に忘れらないエピソードがあります。
今日はそんなお話を。
私の母は平成5年10月4日にこの世を去りました。
その数日前に起こった出来事なのですが。
亡くなる数日前に体調が急変したときがありまして・・・
そばにいるのに、私は何もできなくて・・・
ただただ、おろおろするだけだったことがありました。
でも、何かしたい!
その気持ちが私を母の体をマッサージするという
行為に走らせたんですよ。
といってもね、技術的なことを当時は知っていたわけじゃなく
ただただ「頑張って」という気持ちオンリー。
意識を失いかけていたので
正確には「戻ってきて!」という願いだけで
母の腕をずーっとマッサージ・・・
さすっていたんです。
(いわゆる蘇生に近い)
お医者さんや看護師さんは処置に忙しかったのですが
私自身の行為には何も言いませんでした。
まぁ、娘が母親を応援しているわけだしね。
このまま世を去ってしまいかねない状況だったのもあるかもしれません。
でも、今思い出してもそこの病院は
割と患者の家族に良心的だったなと思います。
で、どれくらいさすっていたかは
もう定かではありません。
21年前のことなんで。
けど、母の腕から「気」を感じた瞬間がありました。
そこで私は感じたんです。
「大丈夫、戻ってくる」って。
このことは、誰かに話したこと
あったかな~。
まぁ、ブログに書くのは初めてなんですけどね。
で、母は戻ってきました。
意識もきちんとあったし、
もうだめかと本当に思ったのですが
しっかり、戻ってきてくれました。
ただ、そのあと、酸素を口からではなく
喉からとることになり、話すということはできなくなり
アイコンタクトか筆談となりました。
まぁ、その時点で「いのちの期限」が見えているのですが
1分でも1秒でも長く、母には「ここ」にいてほしかったんですね。
もちろん、そんな状況になっていたので
親戚中が集まってきました。
私も連絡を入れたしね。
「最期の別れかも」ってみんな思ったと思います。
私自身もその覚悟はしていました。
でも母は目力もあったし
すごい精力みなぎる感じで、自分に会いに来てくれた人たちに
目でお礼を言っているようだった。
親戚のみならず、母が懇意にしていた
お友達にも私は連絡をしました。
そういう状況になったことがある方ならわかるかもしれませんが
この「人に連絡をする」タイミングって本当に難しいんですよ。
早すぎでも遅すぎても・・・なんで。
でもベストタイミングなんて自分で作るものかなと思っていたので
私はともあれ、悩みつつも
わかる範囲で連絡をしまくりました。
人によっては、「なんだ、元気ジャン」みたいな人もいましたよ。
でもそんな言葉に負けていられない。
明日どうなるかなんてわからないんだから。
でね、その中で母の仲良くしていたお友達が
来てくれたんです。
こんぺいとうを持って。
母は、入院中、食事があまりとれていませんでした。
看護師さんから聞く前に、母の姿を見ればそれは一目瞭然でした。
胃癌だったこともあり、嘔吐も激しかったことさえ
母は私に隠していました。
それを知ったのは、病院のトイレで
後から隣りに入った人が
トイレで吐いている気配を感じて・・・
私、わざと遅れてトイレから出て行ったんです。
後ろ姿が、母でした。
病気のことは当時母に伏せていたので
こちらも会話にはとても気を使っていました。
でも、その時は母に「吐き気はあるの?」と聞いたら
「少しはあるけど、そんなにたくさんないよ」と言っていました。
実際は、相当吐き気があったと思いますが。
まぁ、親ってそんなもんですよね。(と今なら心底思います)
で、食事があまりとれないことを
お友達は知っていたのと、最期かもしれないけど
味覚もないかもしれないけど
「こんぺいとう」くらいならということで
色とりどりのこんぺいとうを、母の口に1粒入れてくれました。
母は、笑顔で、うなづいていました。
味がわかるのかな
なんて私は冷静にそれをそばでみていたけれど
その気持ちが嬉しかったことは、明らかです。
短時間の間に母はたくさんの人と会ったのもあり
ちょっと疲れた顔をしていました。
面会時間にも限りがあったので
ほとんどの人が帰り
私と叔母と姉で母に付き添うことにしました。
交替で仮眠をとることになり、私が一番最初に
ソファに横になることに。
眠ることはできなくて、その日1日を振り返っていました。
母の容態が急変して、感じる前に動いていたこと。
今まで連絡を躊躇していた人に連絡をしたこと。
たくさんの人に母が会えた事実。
長い1日だったような。
外は雨が降っていました。
それもどしゃぶり。
そんな雨音を聴きながら、うとうとしかかったとき
私の順番がきて、母のもとへ。
母は落ち着いた呼吸で眠っていました。
母のそばで、私は
病名を本人に言えない苦しみや
本人の希望をきけないつらさ
自分がしてきたことは本当にこれでよかったのか
を考えていました。
常に自問自答しながらきていたので
そのときから今に至るまで、
まだまだその思いにひっぱれることも
ゼロではありません。
でも、私はよくやっていたなと
思う出来事も最近ありました。
当時書いていた、親の闘病メモが
ひょっこり出てきて、読み返してみたんです。
父から始まった闘病メモ。
入院期間が母の方が長かったので
当然記録も多いですが。
仕事に、恋に、遊びに、看病だって
ちゃーんと、私やっていました、よ
いつだって、自分は
前を向いて、ここまでやってきた。
会ったこともない両親のお墓参りに行ってくれる主人。
私という人間がこの世に誕生するきっかけをくれた
おじいちゃんおばあちゃんに想いを馳せる、娘たち。
当時、私を心配してくれて励ましてくれた友人・知人。
今でも私のことをそっと見守ってくれている、あんな人やこんな人。
今の私を応援してくれる人たちとも
つながれて、本当にありがたいです。
ありがとう。ありがとう。
そして、今年のお盆も仏壇にはこんぺいとうをお供えします。
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最後にみなさんに質問です。
「あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
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私は、最近特に
明日何があっても・・・という生き方を目指しています。
マイペースで・・・ね。
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