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『こころとからだと人と自然と。』

人生5回も死ぬ目に遭えば、否が応でも強く、しなやかになる。
人生を楽しみながら歩く錦ちゃんのブログ。

こんにちは♪錦ちゃんです(‘-^*)/

 

人生で初めて左利き用のはさみを買ってみました。

 

 

実は、僕は左利きなんです。

 

今までは右利き用のはさみを、

 

左手で使っていました。

 

左利き用のはさみの存在は知っていましたが、

 

右利き用で慣れてしまっているため、

 

もう今更感があったんです。

 

でもふとある時、

 

「今更だけど、ものは試しに使ってみるか!」

 

と思い立ちました。

 

.

 

実際使ってみると・・・

 

めっさ使いやすい!!!

 

今までの苦労はなんだったんだ!!

 

もっと早くから使ってればよかった!!!

 

というのが率直な感想です。

 

でも右利き用だけしか使ってない時は、

 

その苦労は当たり前だったのです。

 

「はさみとはそういうもの」だと。

 

.

 

慣れているものって、多少の不便や不都合が

 

あっても、どことなく安心しちゃうんですよね。

 

だから使い続ける。

 

.

 

はさみでさえ、こんな感じです。

 

小さい頃からずっとやってきた習慣やクセも、

 

同じことが言えるかもしれません。

 

慣れてしまっていて、それが当たり前に

 

なっているけど、新しいやり方にチャレンジ

 

してみると、「今までが如何に不便で不都合なこと

 

だったのか」ということに気づくかもしれません。

こんにちは♪錦ちゃんです(‘-^*)/

 

第5回「身ひとつDEバンド」

 

に参加してきました。

 

去年の12月25日のクリスマス開催ということもあり、

 

少し人が少ないような気もしましたが、

 

魂を込めて歌ってきました。

 

 

 

「格好が昭和のアイドルみたいやん!」

 

と言われてしまいました(≧▽≦)

 

でも曲がりなりにも「アイドル」と言われたのは、

 

初めてかもしれません。

 

それに限りなく昭和に近い名曲を歌うわけですから、

 

昭和でいいんですよ(人*´∀`)。*゚+

 

 

 

毎回思う事ですが、

 

全体練習を一回もすることなしに、

 

一発本番で演奏するのに、

 

よくこんなに歌えるなと自分でもびっくりします。

 

 

 

昔はぼーっとしていることが、今より多かった。

 

そんな時間を懐かしいと思うと同時に、

 

ぼーっとする時間が欲しいとも思った。

 

でもよく思い出してみると、ぼーっとしている時に、

 

言い知れない寂しさ、虚しさもあった。

 

 

 

今はやりたいこと、することが多くて、とても充実している。

 

でも忙しくしているわけではない。

 

自分の中での優先順位を決めて、

 

優先順位の低いものはしないと決めている。

 

そして無理しないようにしているからだ。

 

今の方がとてもバランスが良い。

 

 

 

それでもぼーっとしていたあの時間が懐かしい。

 

「隣の芝生は青く見える」というのは、

 

まさにこういうことなのだろう。

昨年相知(おうち)へ1人旅をした時に

 

見つけた1軒の茅葺屋根のおうち。

 

 

今まで幾度となく、その前を車で通っていたのにも

 

関わらず、その存在に全く気がつかなかった。

 

あんなに素晴らしく立派な建物だというのに。

 

明確な目的があって移動している時には、

 

その目的(○時までに○○に着いておかないと。)

 

しか頭になく、向かう先の前方しか見ていない。

 

このことは私に限らず、

 

多くの人がそうしていることだろう。

 

 

 

世の中は、すごく便利な世界になった。

 

コロナ禍のおかげもあって、

 

家にいても仕事ができる。

 

ネットでポチりさえすれば、

 

生鮮食品も自宅まで配送無料で届けてくれる。

 

家にいながら、ネットで

 

コンサートなどのライブ配信も観れる。

 

病院に行かなくても、自宅にいながら

 

オンラインで往診してくれるところも出てきた。

 

 

 

便利になるということは、

 

それだけ手間が省けるということだ。

 

本来ならば時間に余裕がでてくるはずだ。

 

ところがどうだろう?

 

ヒマでしょうがないという人たちが、

 

街に溢れかえっているだろうか?

 

こんな田舎町でさえ、

 

あまりヒマそうにしている人は見受けられない。

 

幼稚園生は幼稚園生なりに、

 

高齢者は高齢者なりに、

 

日々忙しく過ごしているようにみえる。

 

 

 

そういった日々の忙しさの中で、

 

私たちは本当に大事なものを

 

見失っていないだろうか?

 

私が相知の立派な茅葺屋根の家に、

 

全く気がつかなかったように。

 

 

建物のみならず、人についても

 

同じことが言えるのではないだろうか?

 

日々予定が詰まり、忙しさの渦中にあると、

 

まわりの人の何気ないしぐさ、表情、言葉、

 

行動の中に、実は、大事なものが埋もれている

 

可能性があるのではないか?

 

見過ごしてしまっている可能性が

 

あるのではないか?

 

自分の子どもを自殺で亡くした

 

親御さんの言葉が、ふと頭をよぎる。

 

「いじめられて悩んでいるようには、

 

全然見えなかった。」と。

 

 

 

多くの人々が、「気忙しさ」という病に

 

罹っているように私には見える。

 

時代がそんな風潮であっても、

 

私はこころ穏やかに、たおやかに、自由に、

 

気ままに、ゆっくりやすみやすみしながら、

 

生きていきたいと思う。

 

そして埋もれているものや見過ごされて

 

いるもの、そういったものがないか、

 

しっかりといろんなところに目を向けながら、

 

大切なものを大切にしながら

 

生きていきたいと思う。

 

そういった人間が、たまにはいたっていい。

 

気忙しさの中にあるオアシス

 

のような存在になろう。

 

オアシスもそうだが、

 

必ずいつもそこにある

 

というわけにはいかないのであるが。

あの人には感謝しかない。

 

あの人には感謝しない。

 

「か」が抜けるだけで、こんなにも違うなんて。

 

かなしー!

 

かなしくならないような生き方をしたいよね。

 

名言リストに加えてもいいでしょうか?( ´艸`)