『こころとからだと人と自然と。』 -117ページ目

『こころとからだと人と自然と。』

人生5回も死ぬ目に遭えば、否が応でも強く、しなやかになる。
人生を楽しみながら歩く錦ちゃんのブログ。

「えー今回で名護屋、完結です。」
また石垣のまわりには、こんなものもありました。



石垣にする時、大きな石は使い勝手が悪いので、
適当な大きさにする必要があります。
石を割る作業ですね。
これも全て人力です。
地道に穴を開けていき、そこへ楔(くさび)を打ち込んで割ります。

石をぱっかーーんってやろうと思ったら、
楔がぱっきーーんって折れちゃったんでしょうね。

楢田さんはとても詳しくて、
いろんな質問をしてもお答えになるのでびっくりでした。
相当な知識量がないと、いろんな質問には答えられませんからね。
長い時間お付き合い下さり、ありがとうございました(*^▽^*)
「えー今回も名護屋です。長くねーか?」



城内には、こんな身の丈を越す巨石の石垣もあります。
当時は重機などありませんから、ほとんど人力です。
こんな巨石を運ぶのは、相当な労力です。
作らされているのに、さらに無駄な労力を増やして何になる?
と思ってしまいますね。

でも完成した後のことを想像してみると・・・
「それにしても伊達殿、この巨石を運ぶ労力たるやいかばかりか・・・
 感服致しまする。」
「ぐわははは。大したものではござらん。石工衆の戯れにござる。
 して、貴殿の石垣は何処に?」
「あちらにござる。」
「ほっほ~~~~。小さくまとまった石垣にございますな~。」( ̄― ̄)ニヤリ
※あくまで想像です( ´艸`)

こんな自慢をしたかったり、見栄を張りたい人がいたのかもしれません。
つづく
町田にあるラーメン大将へ行ってきました。
町田と書いて、唐津では「ちょうだ」と読むんですよ(‘-^*)/
唐津のラーメンでは、今一番好きなラーメンです(*^▽^*)


「えー今回で名護屋3回目です。」
さてようやく今回の本丸、名護屋城です。
楢田さんは受け付けの方とお知り合いで、顔パス状態です。
いざ名護屋城へ!

この城は、5ヶ月という信じられないような短期間で
作られた城だそうです。
石垣も「割普請」(わりぶしん)と言って、
各大名が担当の場所を割り当てられて作らされたようです。
光成「こっからあそこまで、家康っち、よろしこー」
家康「いやいやいや、多すぎぢゃね?」
光成「で~こっからあっちは、利家っち、よろ~」
利家「あいつの隣の現場~?まぢ勘弁なんですけどぉ」
※あくまで想像です( ´艸`)

そうして割り振られて作られた石垣なので、
右側と左側で雰囲気が全然違いますよね?



楢田さんから教えて頂いて初めて、その違いがわかります。
そして真ん中が崩れているのは、
自然に崩れたんじゃなく、人の手で壊されたそうです。
島原の乱以降、一揆などで城に籠られるのを江戸幕府は恐れたようです。
つづく
「えー今回も前回と同様、名護屋です。」
ようやく豊臣秀保陣跡に到着。
陣跡と言っても石垣も組んであるし、建物もあったんですね。
7年くらい続いた戦だから家も建ちます。

驚いたのは、枡形の門。
完全に城のような作りです。
跡しか残っていないのですが、想像力をフル稼動させると、
当時の風景を頭の中に再現させることができます。



枡形の門の特長(‘-^*)/
敵が攻めてきた時、敵が門を打ち破り、
この枡形の場所になだれ込んできます。
四方を壁で囲まれているため、敵は逃げられず、矢を射放題!
→殲滅。
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

この陣を作った豊臣秀保の想いも見えてくるような気がします。
こういうことを感じると、なんかワクワクしてきますよね(*^▽^*)

2つ目は、堀秀治陣跡。
ここには小さいながらも能舞台の跡や、茶室の跡までありました。
歴史という目から捉えると、7年はほんの一瞬です。
しかし人の一生の内で7年は結構長い。
戦といえども息抜きしないと、
こころもからだも持たなかったのかもしれませんね。
つづく