他人からの評価は人にとって大事なことの一つなのかもしれない。
他人から受ける評価を全く気にしないという人はいないだろう。
何故なら良く評価されるということは、人から認められるということだ。
人から認められたいという気持ちは人の大切な欲求の一つだ。
その評価の判断材料として、男性では地位や名誉、富などが挙げられる。
子供を持つ女性では、自分の子供の評価が自分の評価となる。
学力は地位や名誉、富を獲得する為の大きな武器の一つだと言えよう。
そのために親は子供に学力をつけさせたいと願う。
評価とは自分がするものではなく、他人がするものだ。
よって自分の力でどうこうできるものではない。
また人からの評価が高いとオプションがついてくる。
例えば自分が失敗をしてしまっても、
周りは「きっと何か考えがあってのことだろう。」と良い方にとらえ、
失敗だとは思わない。
また困った時に助けを求めれば、多くの人が救いの手を差しのべてくれる。
逆に人からの評価が低い時もオプションがついてくる。
たとえいいことをしたとしても、周りからは「何か裏があるんじゃないか?」
「何か騙されるかもしれない。」と悪い方にとられ、いいことだと思われない。
また困っていても誰も見向きもしてもらえない。
こういったオプションもあるせいか、人は評価を上げたいと願う。
評価を上げるのはものすごく大変だが、下げるのは簡単だ。
しかし人は自分の評価を上げたいと願いながらも、
時として逆に評価を下げるような行動をとることがある。
我儘な言動、自分だけ楽しようとする言動、
自分だけ利益になる言動をする場合、評価がことごとく下がる。
欲求は大切なものではあるが諸刃の剣だ。
行きすぎると我儘になり、その我儘がより大きな自分の欲求を制限する。
評価は確かに重要なことの一つではあるが全てではない。
しかし我儘な言動で敢えて自分から評価を下げる必要もない。
ほどほどがよい。
しかしほどほどがむつかしい。
