大学生だった頃いろんな人達と熱く議論を交わしていた。
自分の興味のあるものや相手の興味あるもの、
役に立つであろうことや、
全く何の役にもたたないであろうことなどだ。
物事を一人で考えることは深度を深め、
多くの人と議論することは物事の幅を広げたように思う。
学生の頃、個人間の利害関係などは社会人と比べると無いに等しいから、
喧々諤々となり半ば喧嘩のようになっても、
その議論が終われば喧嘩も終了となる。
社会人になっても同僚や同じ会社の人と熱く議論を交わすことはあるが、
それぞれの立場や価値観を鑑みて学生の時のような喧嘩はあまりしなくなる。
それは議論が終われば喧嘩も終了
というわけにはいかなくなる場合が出てくるからだ。
「若者の特権」
物事を深く考えることや、どうでもいいようなことを熱く議論することは
「若者の特権」だということを学生時代に聞いたことがある。
それはモラトリアムの中でたくさんの時間があればこそ、
暇であればこそ、無責任であればこそだからだろう。
大学を出てから14年余、学生の時ほどではないが未だに熱く議論する。
もちろん分をわきまえた範囲で。
そして未だに考える。
生きるとは何か?
幸せとは何か?
自分とは何か?
家族とは?
結婚とは?
仕事とは?
人を思いやるとは?
愛とは?
不安とは?
学生の頃と比べると自分の周りが幾分明るくなって、
少し遠くを見渡せるようにはなっているが、それでも全体は見えてこない。
周りの闇に集中しすぎて、
自分の内側に広大な暗闇が広がっていたということもよくある。
僕はこれからも考え続けていくのだろう。
そして今まで気がつかなかったものを発見していくのだろう。
発見した時の喜びはあいも変わらず、学生の頃のまんまだ。
