台灣工業設計の父
郭叔雄さんとお話しさせて
いただきました。(^^)

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千葉大学に留学されて
千葉大学では当時
教授だった故小池新二氏に師事しています。

志望の千葉大学は入試に来いというだけで
当時の台湾で必須だった
入学許可証を送ってくれませんでした。

止むを得ず
千葉大学からもらえない
入学許可証を
日大芸術学部からもらって
日本に入国されました。

翌年
ニューヨークでお医者さんをしていた
実兄の患者さんだった
ジェトロ・ニューヨークのトップだった
日本人の助けで
千葉大学教授だった
故小池氏に引き合わせてもらって
千葉大学に無事
入学されたのだそうです。

50代のお子さんが居て
デトロイトのフォード社で、
各車のデザイン主査(主管)を
統括しているそうです。(@_@)

フォード社の息子さんの下にも
息子さんが有って、
日本総研で住友と三井の銀行合併に尽力されて
合併を成功させた立役者だったそうですが
その後
息子さんは若くして急逝して
しまわれたそうです。

お耳が多少
遠くなってはいますが、
発音は明瞭な日本語を
お話しくださいました。

台湾に帰国しても
当時の台湾では
コピー製品ばかりで斬新な
工業デザインの仕事は皆無だったので
美術大学で教鞭をとって
以来
後進の育成

さて
80歳を越えた郭老師の教えは
「台湾人よ、台湾にズッと留まっていれば
視野が狭くなるからいけない、
台湾国外に出て見聞を広げなさい。
さもなくば
ドングリの背比べになってしまいます。」
でした。

そのまま
そっくり日本の若者達にも聞かせたい
言葉ですよね。(^^)v