ミスター・ホンケラ物語

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黎明期編

ホンケラのパパFと言えばホンケラで知らない人間はいなかった。
大日本帝国時代に3年間だがセブ島も日本軍占領下におかれてセブの小学校でも日本語教育がされたらしいが、
それにしてもパパFの日本語の語彙は多かった。
パパFの日本人男性客への決めゼリフは、「沢山インバイ(淫売)ある」だった。
歴史として浅く独学した日本の敗戦後の赤線のあった時代を最後に日本本国でも既に死語になっているセリフだ。

パパFの生家がホンケラに近いコロンの裏通り現在のUVメインキャンパスのバックゲートの向かいで売春屋を経営していて日本の兵隊さんが沢山客として来ていて日本語を教えてもらったり軍歌を聞き覚えたからだと後日分かって合点ができた。

占領下の売春婦に昨今話題の○リアン系の売春婦はいなかったそうだが、数名の日本女性が売春婦として敗戦までセブに居たのだそうだ。
売春屋は私の勝手な造語で売春宿の形式を取らない
置屋と立ちんぼの中間な形態で、
看板も標榜しないそんな売春屋に売春婦達は住み込んでいた。

1950年代成人したパパFは家業の売春屋を引き継いだ。
この頃にはパパFの売春屋は他の売春屋と一緒に、
今のホンケラ通りUSCメイン横の通称カバティガンに移転を済ませていた。
当時は田舎から出てきた売春婦達を自分の家に住まわせて
寝食を共にしていたそうで1人の元締めが
せいぜい10人程の売春婦を抱えていた。