大学でいう「哲学」は長い間西洋哲学で、結局それは
「いかに西洋哲学を読めたか」なのだと思う。
本来ならば、この国の事を真剣に考えるのがエリートなのだから、
デリダよりは正法眼蔵を読むべきなのだろうな、とも思うが。
その「本来」の部分は、手堅いサラリーマンに心底なりたいと願う人よりは
ある程度自由のきく芸術家達に委ねられていくのかもしれない。
実利的に目先の事以外をやるのは愚行だと思う人達には、不必要だろうし、
それはその方が賢い。禅問答なんてものは、芸術愛好家がやるべきものだ。
そもそも、この合理的でカンペキなシステムを完成させるに熱心だった西洋のエリート。
彼らの考えでは、死は人生にあってはならないものだ。
天国は長い階段の先にあり、努力してたどり着くのがゴールである。
努力はした者が勝ちにきまっている。頑張れば頑張った人が勝つのは当り前だ。
台風も地震も来ないヨーロッパで、克服すべきは病気ぐらいだ。
病気は医学の進歩で治せた。だから、彼らは科学が万能だと「思い込んで」しまった。
しかし、日本人の我々は知っている。
いつ何時、地震が来るかはわかりづらい。
台風の進路を予測できても、厳密なコースまではわからない。
完全に避けられる不幸はわかりづらいし、自然の力の前では人なんと非力であるかを知っている。
日本人にとって、死というのは「階段の先」にあるものではなく
常にこの世界と並行して存在するものだ。
ちょっと、海の上に浮かぶ、時空を超えた「ギリギリの状態の舟」を二艘、比較して見てみよう。
ひとつは1185年の壇ノ浦に、もうひとつは1816年、アフリカ西岸アルグアン海礁付近を漂流中である。
平家の一門は追いつめられ、二位尼は幼い安徳天皇を抱えて、「波の下にも都はございます」といって入水する。平家物語の有名な場面である。
一方のアフリカ西を漂うのは、元は立派な戦艦だったが今や筏である。こちらは有名なロマン派の画家、ジェリコーも描いた「メデューズ号の筏」。

エリートだった船長達の傲慢さと判断ミスで難破してしまった。
筏には兵士を中心に約150人。見捨てられた筏の上で何が起きたかといえば、
兵士の反乱、それに対する制裁、生きていても無駄な負傷者の処刑、発狂と自殺、
最後に残った15人は「己が生き延びるため」に死体を干し肉にして食ったらしい。※
彼らの波の下に、都などは存在しない。
西洋人は、あのゴシックからルネサンスへの移行時期、16世紀から
「死」という概念そのものをどこかへ追い払った。
そこは太陽と生産と昼間と物質の世界である。
人はすでに、システムのために生産される物にすぎない。
そんな呑気な、明るく気楽で、不幸を知らないシステムを、無邪気なエリート達は
無理矢理、「野蛮」としたこの国に持ち込んだ。
彼らの価値観の中での幸せはやってくるはずだった。
科学は万能、物であふれれば人は幸せになり
努力すればしただけ幸せになると。
ーー合理的に「目的」を持って、死というゴールに到達する。
私達の文化、いや社会通念がバラバラなのは、本来無かった死の概念をも輸入した時
上手く融合できずに消化不良をおこしたからなのではないだろうか。
「波の下の都にまいります」は、メデューザ号の筏の上では美学にならない、というのがおわかりだと思う。
ハロウィンは定着した。「イースター(復活祭)」はなぜ定着しづらいのか?
日本人にとってはむしろ、カリスマこそ綺麗に死んで、復活は肉体ではなく
人々の精神において象徴的に、であってほしいのではないか。
もちろん、ギリギリの状況での玉砕を美化しすぎる事について、
私達は常に、死の世界は並行であっても
この現実世界での時間は不可逆であり、すでに明治維新前に戻る事などできないとは思うべきだ。
しかし、波の下に都を持つ事は、人を食料にする世界とはかけ離れている。
死は美学ではないだろう。しかし、死が並列するという観念ゆえに、日本文化では
理屈でない「情」はあり、サバイバルではない「和」もあり、そういったものが常に
モラルを支えてきたのではないか、という気がしてならない。
11/1 構造主義のレヴィ=ストロース氏が亡くなられた。長寿であったとはいえ、残念でならない。
構造主義者達はみんな日本が好きだった。レヴィ=ストロースも日本が好きだった。
その事を、日本人で芸術と哲学を愛する者は、忘れてはならないと思う。
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※参考文献 「近代絵画の暗号」文芸新書 若林直樹著
「いかに西洋哲学を読めたか」なのだと思う。
本来ならば、この国の事を真剣に考えるのがエリートなのだから、
デリダよりは正法眼蔵を読むべきなのだろうな、とも思うが。
その「本来」の部分は、手堅いサラリーマンに心底なりたいと願う人よりは
ある程度自由のきく芸術家達に委ねられていくのかもしれない。
実利的に目先の事以外をやるのは愚行だと思う人達には、不必要だろうし、
それはその方が賢い。禅問答なんてものは、芸術愛好家がやるべきものだ。
そもそも、この合理的でカンペキなシステムを完成させるに熱心だった西洋のエリート。
彼らの考えでは、死は人生にあってはならないものだ。
天国は長い階段の先にあり、努力してたどり着くのがゴールである。
努力はした者が勝ちにきまっている。頑張れば頑張った人が勝つのは当り前だ。
台風も地震も来ないヨーロッパで、克服すべきは病気ぐらいだ。
病気は医学の進歩で治せた。だから、彼らは科学が万能だと「思い込んで」しまった。
しかし、日本人の我々は知っている。
いつ何時、地震が来るかはわかりづらい。
台風の進路を予測できても、厳密なコースまではわからない。
完全に避けられる不幸はわかりづらいし、自然の力の前では人なんと非力であるかを知っている。
日本人にとって、死というのは「階段の先」にあるものではなく
常にこの世界と並行して存在するものだ。
ちょっと、海の上に浮かぶ、時空を超えた「ギリギリの状態の舟」を二艘、比較して見てみよう。
ひとつは1185年の壇ノ浦に、もうひとつは1816年、アフリカ西岸アルグアン海礁付近を漂流中である。
平家の一門は追いつめられ、二位尼は幼い安徳天皇を抱えて、「波の下にも都はございます」といって入水する。平家物語の有名な場面である。
一方のアフリカ西を漂うのは、元は立派な戦艦だったが今や筏である。こちらは有名なロマン派の画家、ジェリコーも描いた「メデューズ号の筏」。

エリートだった船長達の傲慢さと判断ミスで難破してしまった。
筏には兵士を中心に約150人。見捨てられた筏の上で何が起きたかといえば、
兵士の反乱、それに対する制裁、生きていても無駄な負傷者の処刑、発狂と自殺、
最後に残った15人は「己が生き延びるため」に死体を干し肉にして食ったらしい。※
彼らの波の下に、都などは存在しない。
西洋人は、あのゴシックからルネサンスへの移行時期、16世紀から
「死」という概念そのものをどこかへ追い払った。
そこは太陽と生産と昼間と物質の世界である。
人はすでに、システムのために生産される物にすぎない。
そんな呑気な、明るく気楽で、不幸を知らないシステムを、無邪気なエリート達は
無理矢理、「野蛮」としたこの国に持ち込んだ。
彼らの価値観の中での幸せはやってくるはずだった。
科学は万能、物であふれれば人は幸せになり
努力すればしただけ幸せになると。
ーー合理的に「目的」を持って、死というゴールに到達する。
私達の文化、いや社会通念がバラバラなのは、本来無かった死の概念をも輸入した時
上手く融合できずに消化不良をおこしたからなのではないだろうか。
「波の下の都にまいります」は、メデューザ号の筏の上では美学にならない、というのがおわかりだと思う。
ハロウィンは定着した。「イースター(復活祭)」はなぜ定着しづらいのか?
日本人にとってはむしろ、カリスマこそ綺麗に死んで、復活は肉体ではなく
人々の精神において象徴的に、であってほしいのではないか。
もちろん、ギリギリの状況での玉砕を美化しすぎる事について、
私達は常に、死の世界は並行であっても
この現実世界での時間は不可逆であり、すでに明治維新前に戻る事などできないとは思うべきだ。
しかし、波の下に都を持つ事は、人を食料にする世界とはかけ離れている。
死は美学ではないだろう。しかし、死が並列するという観念ゆえに、日本文化では
理屈でない「情」はあり、サバイバルではない「和」もあり、そういったものが常に
モラルを支えてきたのではないか、という気がしてならない。
11/1 構造主義のレヴィ=ストロース氏が亡くなられた。長寿であったとはいえ、残念でならない。
構造主義者達はみんな日本が好きだった。レヴィ=ストロースも日本が好きだった。
その事を、日本人で芸術と哲学を愛する者は、忘れてはならないと思う。
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※参考文献 「近代絵画の暗号」文芸新書 若林直樹著