メンタルはトレーニングで鍛えられる? | LANI'S 野々垣 弘子の『幸せになる為の思考論』

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尋常じゃない眠気は【吉報】の前兆だったのでしょうか。


2018年を振り返ると、とにかく眠くて仕方ない日が多かった1年でした。


年始から家中の家電が立て続けに壊れるという怪奇現象に見舞われたり、

今始まったことでは無いのですが、身近な人たちの感情的な言葉に心が折れそうになったりと、

とにかく『振り回された1年』でした。



連日の40度近い真夏の暑さも手伝って、長い夏休みの間は記憶が無いくらいの疲労感。

自分管理が思うようにならないと、不安になったり焦ったりしますよね。



自分自身のこともまともに出来ないのに、色んな事に手を出すのはやめようと決めていたのに、なかなかじっとしている事も出来ず。


一進一退を繰り返していたこの数年間でしたが、いつしかそんなもどかしさにも慣れていました。




結果、今年は私が動かなくても外からのアクションがあり、少しずつではありますが諸々前進した年になり、あの尋常じゃない眠気にも意味があったのかな…なんて思っています。



人に振り回されない様に、相手の感情に流されない様に、会う人の制限を徹底し、食事に誘われても行かないと決めました。


そして、心がざわつく相手や物事から離れてみると決め、その様に実行して来ました。



「私がやってあげなきゃ」

だなんて思うのは、単に驕りなのかなと。



もし、私が無理を重ねてまた病気になったりしたら、大変なのは周りです。



もし、私が倒れたりしたら、子供の面倒は誰がみるのだろう?と考えたら、私がやるしかありません。

私が「やらなきゃいけないこと」は、突き詰めればそれくらいで、あとのことは何とかなっていくものでした。

「やらなきゃ」「やって当然」だと洗脳されるうちに、そう思い込んでいただけなのかもしれません。




例えば、とてもショックな出来事に見舞われたとします。

その時は立ち上がれそうに無いほどの衝撃を受けるかもしれません。

また暫くして、同じくらいのショックな出来事に見舞われた時、

1度目に受けた衝撃とそれは同じでしょうか?




ショックな出来事にはあまり遭遇したくはありませんが、何も無しで生きられることはありません。

ショックを受ける度に強くなっていくのが人間というものです。


2度目に受けたショックは、1度目に受けたそれよりも、遥かに軽いものだと捉えることが出来ます。

一度乗り越えた困難で【耐性】が出来ているため、二度目の困難はわりとしなやかに飛び越えられるものなのです。


メンタルは、トレーニングと同じ様なものなのかなと最近思うのです。

筋トレの重りを上げて行く度に筋肉が鍛えられる様に

心の筋肉も、衝撃を受ける度に強くなっていくのかなと。



相手は、あなたのことを傷付けたなんて思ってはいません。

もしかしたらわざとかも知れませんが、大抵の場合は『勝手に傷付いただけ』なのではないでしょうか。