2年ほどの間、なんとか大丈夫かな?

と思って氣にならないフリをしていたことが、

やっぱりどうにも嫌だと氣付いた。

 

それは隣の部屋の夜10時過ぎてからの

ウクレレの練習。

 

 

築50年の木造家屋の隣の部屋で

毎晩ウクレレ弾きながら歌われるうちに、

すぅっと眠りに入れなくなってしまった。

 

 

布団に入ったら

何かを考える暇もなく

すぅっと眠れていたので、

一旦うまく眠りに入れないと

どうやって眠るんだっけ

などと考え始めてしまい、

苦しい時間が生まれるようになった。

 

この1ヶ月ほど睡眠の質が

著しく落ちている。

 

意を決して

夜10時になったら

せめて歌うのは止めて

とお願いしたら、

発表会があるから、

あと2週間我慢してくれ、

と言われた。

 

 

たった2週間。

人生最後の発表会。

 

そのぐらい我慢してあげよう…

 

と思えなかった。

 

 

 

まだあと2週間もこの状態が続くのか

と思ったら、

氣分が悪くなった。

 

吐きそうだ。

 

いや、いや、ムリだよ

絶対無理びっくりマーク

 

 

 

逆に歌だけではなく

ウクレレも我慢できなくなった。

 

このままだと

昼間どこかでウクレレの音を聞いても

心臓がバクバクしてしまいそうだ…

 

 

そんなに我慢してたんだ

とやっと氣付く。

 

 

そして最後の藁の一本が乗っかって、

もうどうにもこうにも

我慢できなくなっているんだ

という状態にも氣付く。

 

一本の藁でラクダの背も折れるのだよ。

 

 

 

 

我慢にも覚悟がいる。

わたしはこれを我慢する、と

明確に決意して

自分に宣言した我慢は、

そこそこ頑張れる。

それに、

限界が近づいているかどうか

観察もするから、

爆発する前に手を打てると思う。

 

 

だが、うっかり

このくらいはいいよね、

とできるかどうかよく考えずに

譲歩したことは、

地味にうっぷんが溜まっていく。

 

そして突然爆発する。

そうすると

なんで今まで平気だったのに

急に怒ってるの?みたいに言われる。

 

いや、ずっと我慢してたんだよ。

 

不用意な我慢は誰のためにもならない。

 

 

 

ふとindexを思い出した。

 

 

 

そして自分の胃袋(器)の小ささを

思い知らされる。

 

 

この程度のことも飲み込めないか。

やれやれ…と思う氣持ちも湧いてくるが。

 

爆発したものを止めるのは

かなり難しいので、

それより次の時のために

胃袋を拡げておこう。

 

目に付いたものにそっと触れて

カウントしているうちに、

白い水晶の魔法使いの日だ

と思い出す。

 

受容性とは

イヤなことを我慢することではなく

胃袋の大きさを

チェックする感じなのかな

と思う。

 

倦まず弛まず拡げ続ける。

それが魔法の力を強める。

地道だけど確実。

 

 

これを書いている日は

赤い月の地球の日。

月の音は「挑戦」「分極化する」

 

要らない我慢を分けて止める。

苦手なこと(イヤだから止めてと伝えること)にも

挑戦する。