重田園江『社会契約論』を読了。
社会契約論については、それこそ膨大な量の本や論文が書かれてきたので、そのものずばりの「社会契約論」を題名にした本を出すというのは挑戦的な試みである。もしや、あまり名前を聞かない思想家を取り上げるのかと思いきや、取り上げられるのは、ホッブズ・ルソーが中心。その他に、ヒュームとロールズも重要な位置に配される。このあたりは、これまでの社会契約に関する議論の伝統をきちんと踏まえたものになっている。
社会契約論一般にも言えることだが、つきつめると、本書の議論は一点に集約されると言って良い。
つまり、一番最初に社会契約をどう結ぶのか(結んだのか)である。
本書も主にその点をめぐって議論が展開される。
ホッブズ問題やヒュームによるコンベンション論、一般意思もあやふやな感じで議論が切り上げられた上に、最後に取り上げられるロールズの議論でも、もう少し突き詰められたのではないかと思うところで終わる(本書の中で、ロールズを取り上げた部分が読みどころだと思われるが)。そして、最後の「おわりに」で、著者自身がフィリピンのスモーキーマウンテンで立ちつくし、この社会はどこか間違っていると思ったという体験が語られており、そこで、本書の目的が社会契約論のアクチュアリティを探すことだったという「結論」が出される。
社会契約論について基本的なことを知る上では、概ねこの本でも良いと思われるが、もう少し突き詰めた著者なりの議論を読みたかった。随所に著者なりの卓見が垣間見えるからこそ、残念。
巻末の文献案内も面白い。
- 社会契約論: ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ (ちくま新書 1039)/筑摩書房
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