最相葉月『絶対音感』も無知から始まった | (元)無気力東大院生の不労生活

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勤労意欲がなく、東京大学の大学院に逃げ込んだ無気力な人間の記録。
学費を捻出するために、不労所得を確保することに奮闘中。
でした。

 先日、無知を知ることの重要性について書きました。

 実は、最相葉月『絶対音感』(新潮文庫)も無知を自覚することから始まった本です。


 少し長くなりますが、引用します。


 (以下引用)

 絶対音感

 私がこの言葉を初めて知ったのは、一九九六年の冬。音楽好きの友人たちとのほんの些細な会話がきっかけだった。ある有名なミュージシャンの名前を挙げ、その人が自在な即興演奏をするのは絶対音感があるからだ、などというような何気ない一言だったと思う。もし私にほんの少しでも音楽の専門知識があり、生半可にでもその言葉の意味を知っていたならば、自分なりに納得してさほどの興味は示さなかったかもしれない。だが、幸か不幸か、私は無知だった。

 最相葉月『絶対音感』(新潮文庫)21~22頁より


 この無知の自覚から、著者による絶対音感を巡る知的な旅が始まるのである。


 本の内容については、面白い本なので、実際に読んで欲しいです。


 考えてみると、私の本業の研究も、同じことだと思います。今現在何が分っているかを知り、そこから何が分らないのか確認する行為が研究だと思います。


 自分は無知である。そう自覚することが研究の第一歩が踏み出されるのでしょう。

 まだまだ分からないことは沢山ある。


 

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