無知を知ること | (元)無気力東大院生の不労生活

(元)無気力東大院生の不労生活

勤労意欲がなく、東京大学の大学院に逃げ込んだ無気力な人間の記録。
学費を捻出するために、不労所得を確保することに奮闘中。
でした。

 無知を売りにし、頓珍漢な回答をクイズ番組ですることで名を売った芸能人がチヤホヤされる昨今、これまた無知で、率直な物言いを売りにした歌姫がおかしな発言をしようが、ことさら驚きはしない。これが私の率直な感想です。

 勿論、無知であること自体は恥ではありません。無知であることを自覚していないことが恥なのです。間違った発言をしたときには、率直に謝れば良い。それが無知を自覚するということです。

 そういう意味では、自己の都合を考え、結果的には不十分な謝罪しか出来なかった歌姫は、恥を重ねただけです。今からでも遅くない。しっかり謝れば良いのです。「私は無知でした」と。


 もう騒ぎが鎮静化したので、今回の「事件」について感想を書いてみましたが、改めて、会話の一部を切り取ると、その部分が予想以上に厳しい表現に思えてしまうことを今回の騒動で知りました。

 「羊水が腐ってる」

 この部分だけ切り出すと、実際に聞く以上に、とんでもない発言をしたように思えてきます。


 例えば、以下の文を読んでみて下さい。


 「なんかさ、赤ん坊見ると、引ったくって、地面に叩き付けたくなるんだよね。ぐしゃっ、べちゃっ」


 この文章は、杉浦日向子『4時のオヤツ』に収録されている「三越のソフトクリーム」という短編の中に出てくる会話の一部です。

 これは小説の作品中の言葉で、誰かが実際に発言した言葉でありませんが、こうやって取り出してみると、本当に酷い。これだけ読むと、この作品自体、随分残酷なものが書かれているようにみえますが、実際にはそんなことはありません。


 今回の「羊水」発言も、一連の会話の中で発せられた言葉です。発してしまったこと自体の責任は残りますが、この発言が切り取られ、一人歩きしたとき、その発言はそれだけで力を持ち、発言者自身が想定しなかった程の騒動を巻き起こしていく。


 だからこそ、発言者は常に発言に気を付ける必要があるし、自身の無知を知らない人が前に出て来て偉そうに発言すべきではないとも思います。


 冒頭の話に戻りますが、最近、無知を売りにし、さらに、自身の無知を自覚しない人が、チヤホヤされています。

 そういう風潮を作り出したのも、テレビを中心とするマスメディアであるし、発言を切り出して、一人の歌姫を一定期間、社会的に葬り去ったのもマスメディアです。

 今回の件で、あまりマスメディアの責任については議論されなかったように思いますが、今一度、マスメディア自身も、自らの無知を知る時が来ているのではないでしょうか。


 って、今回もマスコミ批判になってしまった(笑)


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