アメリカ型 | (元)無気力東大院生の不労生活

(元)無気力東大院生の不労生活

勤労意欲がなく、東京大学の大学院に逃げ込んだ無気力な人間の記録。
学費を捻出するために、不労所得を確保することに奮闘中。
でした。

 先日、指導教官の先生と食事をした際に、こんな話題になりました。

 「わが研究室はアメリカ化している」


 東京大学の文科系の研究室の多くは、研究者養成が主な仕事のひとつになっています。

 ですから、基本的には、院生は個人プレーが主体です。だから、研究室の中でも院生同士が足の引っ張り合いをしていたりする。先生の仕事も一人一人の院生を指導することが中心となる。

 一方、例えば、アメリカの大学院、というか研究室は、いわゆる文科系の研究室でも、研究室単位で動いている。先生は企業や政府などから研究プロジェクトを引っ張ってくるのが一番の仕事。そのプロジェクトを研究室単位で処理して、研究室全体の成果とし、それに参加した院生はその成果を自分自身の業績としてキャリアアップしていく。先生は、引っ張ってきたプロジェクトの数や資金、成果で業績が判断される。


 わが研究室も、アメリカのようになってきています。先生のもとに様々な主体からプロジェクトが持ち込まれる。そのプロジェクトを院生が中心となって処理し、先生が最終チェックをして成果物が上がる。その成果物が世の中に出ることで、さらに新たなプロジェクトが舞い込む。

 私たち院生は、自分自身の研究とは別に、研究室単位で動くプロジェクトの結果でも成果があげられ、業績が知らず知らずの内に積み上がる。

 勿論、それぞれ院生には、自身の研究テーマに関係のあるプロジェクトが割り振られるので、自分自身の「修行」にもなり、研究者養成という点でも十分機能している。


 一応、報酬も支払われるので、良いことばかり。しかし、わが研究室は社会人学生も多く、先生の指令の下に動ける院生は決して多くないから、実は慢性的人不足。結局、先生も院生も、多忙を極めることになる、、、、


 幸せな悩みでしょうが、最近私自身も忙しい。