ミャンマーを含むアジア諸国現地調査の旅 その4
久しぶりの航空機搭乗です。それも初のタイ航空!緊張です。ネット情報では、あまり悪い評価の無い航空会社です。勿論、食事のサービスも楽しみです。朝10時半位の離陸予定です。約7時間ちょっとのフライト。搭乗前に購入したミャンマー関連の本をすぐ手荷物から取り出せるようにして準備OK。映画、食事、そして読書を楽しんだらあっという間にバンコクに到着です。
さあ、ゲートオープンです。あっという間に長蛇の列。自分は、最後の方に並びました。近くには地方からお出ましの初老の男性グループ。既に成田で酔っています。「バンコクで何するんだろう?」と思いつつ、そのグループを観察。赤ら顔で、既に眠そう。また、周囲には大柄のアジア系の外国人も多数おり、海外渡航への気分は盛り上がっていたのでした。「お~、なんか久々にインターナショナルっぽい状況ですな。」アメリカに渡航するのとは違って、なんかディ―プな感じがするんですな、これが。そして、いよいよボーディングパスを機械で読み取り、いざ機内へ。CAさんの制服も、タイの民族衣装のデザインをアレンジした感じで気分ちょい上げです。
自分の席について手荷物を席上部の手荷物入れに格納し、とりあえずシートベルトをして他の乗客の観察を始めました。結構、タイの方々が乗っていらっしゃる。皆さん、やっぱり小柄ですね。結構、お年を召した方々も乗っています。CAさん達の緊急避難に関する説明を受けながら、航空機は誘導路を地上滑走しています。小刻みに揺れる機体の感じも、程よい緊張感をもたらしてくれます。
「いよいよだ。」
自衛官時代は、航空管制官ということもあり何かと航空機に絡む仕事をしていたし、また航空機に搭乗する機会も多くありましたが、やっぱり、離陸と着陸は緊張しますね。航空業界では、離陸滑走開始後3分と着陸前8分が最も事故が起きる確率の高い時間帯として認識されています。従って、管制官であった自分も、その時間帯は非常に緊張するわけです。実際、現役自衛官の時には航空機3機の墜落事故を経験し、優秀なパイロット5名を失ってしまったのです。未だに悔やまれる事故であり、その事故によって管制官としては相当職務に対し厳格に臨んでいたと思います。
さて、CAさんも着席し、いよいよ、離陸滑走です。軽く体がシートに押された感じで、グングン加速していきます。機体のノーズアップを感じたと思ったら窓から見える景色が小さくなり始めました。「おー、スムーズな離陸だ。」と思っていたら、すぐにギア(車輪)を格納する音。「おー、何か久々の感触。」
離陸してすぐにパイロットはデパ-チャ―の管制官と交信し、次に所沢の東京コントロールに管制移管されたはずです。そんなことを思いつつ、私は早速席に備え付けられているモニターで映画を楽しむことに。マイチョイスは「クリード・チャンプを継ぐ男」です。久しぶりにスタローンを映画の中で観ましたが、顔が何か変形したような?相変わらず聞き取りづらい英語ではありましたが、面白く拝見させてもらいました。そして、読書。そして食事。あっという間にバンコクです。11月初旬というのにバンコクは真夏の暑さでした。余裕で30度超え。いやあ、こりゃたまらん。そしてバンコクでトランジット。同じくタイ航空でヤンゴンに向かいます。乗継便の出発ゲートに着くと、日本人らしきグループ、結構います。ビジネスマンは勿論ですが、何か外務省の人もいました。話をちょっと立ち聞きしましたけど、多分、日本大使館職員のような感じでした。また、ミャンマーの僧侶の集団もこの航空機に乗るようです。いや、しかし暑い!
更に悪いことに、出発便の遅延が放送され、このうだる暑さの中、1時間待つことに。夕方5時に出る飛行機だったのに6時以降に遅延。ぶっちゃけ、ナイトフライト嫌なんですよね。怖いんです。勿論、パイロットの操縦技術を信頼していないわけではないんですよ。でも、なんか気持ち的に嫌なんですよ。勿論、自分が管制官だった時代には、陸上自衛隊でも航空自衛隊の飛行場でもナイトフライトの管制は散々やってきたんですが、夜はやっぱり見づらいし、いつも以上に緊張するんです、管制官もパイロットも。
そして、ようやく出発機準備OKのアナウンス。我々乗客は、ゲートからバスに乗って航空機のところまで移動させられました。バスの中では、お坊さんの隣。優しくしてくれました。年の頃なら私と同じくらい。でも、やけに落ち着いている。悟りの境地に達したんだろうか?なんて思ったり。また、体も大きい。私で身長175ですが、彼は185位で体重は100キロの大台超えてるんじゃないかって感じです。そんな僧侶の方々と航空機に搭乗と相成りまして、いよいよミャンマーのヤンゴンへ出発です!
続く