さよなら、そしてありがとう、日米共同訓練 | 熱血講師 ショーン 近藤 Leadership & Language Boot Camp

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さよなら、そしてありがとう、日米共同訓練

私は、この日米共同指揮所演習を通して様々な教訓事項を得ることが出来ました。

確かに職務における英語で職務を遂行するという点において技量不足は否めません。

そのレベルに達していなかったと言った方が正解だと思います。

そこで全く日米共同訓練を満喫していなかったのかと言えばそんなこともなかったのです。

以前の記事に書かせていただいたフレンドシップホール(自衛隊側と米側の隊員が酒を酌み交わし懇親できる場)では十分に楽しませて頂きました。

確かに拙い英語しか話せなかった私ですが、酒が入ると調子よくなるわけです。

ノリでガンガンいきまくって、相手もよくわからないけどノリで盛り上がって楽しい親睦会を結構やっていました。

相手が酒でつぶれるまで飲んだり、かなり無鉄砲なことばかりしていたと記憶しています。

ま、でも、それは、それ。

そんなこんなで、あっという間に訓練は終了し、我々自衛隊側も米側も撤収開始ということになりました。

束の間ではありましたが、他の職種の特科幹部や高射特科幹部の方々と別れを惜しみながら撤収していました。

勿論、我々のカウンターパートであったG3Airのところにも別れの挨拶に行きました。

この経験は非常に貴重なものでした。

一番の理由は、恒常業務とはあまりにもかけ離れていたというところでしょう。

そのため夢心地にさせてくれたのも事実でした。

何か日米防衛協力の第1線を垣間見ることができたという満足感がありました。

一日で撤収も終わり、霞目駐屯地に戻ることになりました。

駐屯地に戻ると部隊の先輩後輩が迎えてくれました。

しかし、彼らが挙って言うのは、「仙台駐屯地で遊んできたんだろ?楽しかったろ?その分こっちで、みっちり管制業務やってもらうからな。」という恨み節とも取れる一言でした。

そして、日常に戻っていったのです。

自分の心の中は何か喪失感のようなものがあったと記憶しています。

また、あの緊張感溢れる世界に戻ってみたいと、想いを募らせる日々が続きました。

勿論、航空管制の仕事は緊張感溢れるものです。

失敗は許されません。

我々は、航空機の円滑な運航及び航空交通の安全の確保、パイロットやクルー、そして航空機の安全を第一に考え業務に従事しなければならないからです。

しかし、自分の心の中では、この管制塔でずっと管制の仕事をして定年退官の日を迎えたくないと思っている自分と管制隊の先任を目指し航空隊に貢献すべきだと考える自分が心の中で戦っていました。

その頃、A2曹が並居る先輩をごぼう抜きして1曹に昇任し、管制隊の先任陸曹となったのです。

このA1曹、ゴラン高原にPKOの任務で参加した経験のある先輩で、陸上自衛隊小平学校(当時、調査学校)で英語教育を受けた経緯があり、英語教育には一定の理解のある先輩でした。

彼は、現国会議員の佐藤正久氏と共にゴランに行っていたため、佐藤氏を通じて自衛隊内でかなり太い人脈を有していたのです。

そのA1曹とタワー勤務を共に上番するチャンスが結構あり、自分の進路相談を何度かしていただいた記憶があります。

それは、何かA1曹が意図的に私と上番するようにスケジュールを組んでいたような印象はありました。

その後、いよいよ運命が大きく回ろうとしていたのです。

続く