あまり小さなことは気にしない性格だが、匂いには敏感である。

小学校を転校し、古い建物に変わったとき、トイレトイレに行くのが苦痛だった。

行かないわけにはいかない。トイレに入るときに息をとめて、出るまで呼吸をとめた。

しばらくすると、鼻で呼吸をしなければいいことに気づいた。

私の時代は、和式トイレが主流。鼻をつまんだり、息をとめたり。器用にやっていた。

中学は比較的新しい校舎でそこまでしなくてよくなった。

彼と同棲して、洗濯物の匂いが心配で、洗剤を考えていたこともあったがとりあえず、今のところ一緒に洗っても大丈夫らしい。

一安心。
中学、高校とみな一番楽しい時期だろう。私は…

小学校からの友達をながば無理に誘い、運動系部活に入った。お気楽な部活ではなく、大会で良い成績を目指す部だったことに入ってから気づく。それでも、頑張っていた。

その半年後、一緒にやってきた友達が転勤になってしまった。ひとりで続ける強い気持ちはなかった。私は逃げ出した。

その部活を選んだのは、母が好きな運動だった。母のせいにはするつもりはない。ただ、母の思いに少しでも近づきたかったのだと思う。

部活を止めてから、文化系委員に入り、それがないときにはすぐ帰宅。昼寝をすることが日常となった。

委員でたくさんの友達に出会えたことは、私の人生でいい影響をもたらしてくれた。

ただ、本当に好きだったかと言われれば、それはどうだろう。内申書を上げるため、いい高校にすすむため。自分の目標でもあった、同時に親の期待に応えることでもあった。

昼寝をすることは、現実から逃げるため。気が付いたときには、このまま目が覚めなければいいのに。とさえ、願うようになっていた。

今思えば、うつだったのだと。回復するのに6年かかった。

このことを理解できたのは、今の仕事をして同僚が病気になって、いろいろ勉強していたのちのことだった。
大人になって、今の仕事をするようになってわかったことがある。

母親との関係だ。

私の母は、小学5年生の頃から働き始めていた。それまでは育児に専念していたように思う。

この頃、父は単身赴任でほぼ家にはいなかった。

外で生きがいを見つけた母は、生きていくパートナーも見つけていた。このときには、わからなかったが、後にそうなる。

時々、塾の帰りに知らないおじさんと一緒に迎えに来た。母の帰りが遅いときには、弟とを食べたり、レンジで温めて食べていた。お土産にお寿司やケーキ、ぬいぐるみがあった。

このとき、弟と二人、母がいないのをいいことにゲームをしたりと好きなことを存分にしていた。何も知らなかったから。

でも…異変は感じていたのだろう。友達関係には影響していた。家庭環境に同じような境遇の友達と過ごすことが多くなった。知らず知らずのうちに。

母は教育には熱心。私も弟も応えなきゃと必至だった。弟は後に言った。「認めてもらえない」と。そうかもしれない。

頑張っても、頑張っても褒めてもらえなかった。

いわゆるいい子だった。