<東日本大震災>無邪気さ奪われ 両親不明の子どもたち | 隊長の隠れ家

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 「お母さんどこ。お父さんは?」。

津波で沿岸部が壊滅した宮城県女川町。小学5年の平塚亜美さん(11)と2年の司君(8)姉弟は、いなくなった両親の帰りを待ちわびる。

祖父の平塚俊明さん(64)には、あの濁流の中で両親が助かる見込みはないと分かっている。だから幼い孫を見るたび胸を締め付けられる。

「この子たちの将来はどうなるのか」と。戦後最悪の自然災害となった東日本大震災の被災地で、多くの「震災孤児」が生まれようとしている。【小泉大士、小林洋子、奥山智己】

 姉弟の両親、俊也さん(36)と恵理さん(35)は地震の際、女川湾の観光物産センターで店番をしていた。俊明さんらを含め家族で経営する鮮魚店だ。

 「10分後に津波が来ます」という防災無線の声が今も耳を離れない。

みんなで約300メートル離れた俊明さん宅まで逃げたが、2方向から来た水に家ごと流された。

「おもちゃのように家が浮き上がり、バリバリと音を立てて消えていった」。

俊明さんが見たむごい光景だ。中に俊也さんと恵理さんがいた。

 高台の小学校にいた孫の亜美さんと司君は無事だった。

避難所の町体育館に迎えに行った俊明さんは、2人に言って聞かせた。

「お父さんとお母さんは、そのうち迎えに来るからな」。

亜美さんは両親の身に起きたことに感づいたのか、夜、シクシクと泣いた。

 その後、姉弟は東松島市にある恵理さんの父親(58)に預けられた。

無邪気だった司君も最近、「お母さん、早く来ればいいのに」とぐずるようになった。

津波の映像がテレビに映ると、2人の口数が急に減る。

 俊明さんから見た俊也さん、恵理さん夫婦はとても子煩悩だった。

「鮮魚店が忙しくて、なかなか子どもの相手はできなかったけれど、学校の休みには、よく家族旅行に出かけていた」

 親がいなくても、孫には元気に育ってほしいと思う。

だが自分も避難所暮らしで、まだ先のことを考える余裕がない。

~毎日新聞記事より~



この記事を読むと...

最後の一文に尽きるのではと思う

こども達から無邪気さが消えた...

哀しい現実である

現状を把握できていないこの震災孤児

いったいどのくらいの数に増えるのであろう

支える側...

そして

支えられる側...

彼らを支える存在が必要になってくることが予想されるのではないか

せめて、次世代を担う

こども達だけでも

自然な笑顔を表出させて欲しい