第2章  中華ソビエト共和国の誕生

 

 

項 ソビエトの傀儡政権 「中華ソビエト共和国」

 ソビエト社会主義連邦共和国(以下、ソ連)は、中華民国の政府内に入り込み、共産化するよう執拗に工作する一方、中華民国とは全く別の共産党政権「中華ソビエト共和国(現在の中華人民共和国」を、1931年11月7日に建国させた。

 なお、11月7日とは、ロシア革命記念日であり、このように現在の中国は、漢民族が自主的に建国した国家ではなく、完全にソビエト共産党の、中国支部でしかなかった。ソ連が、中国の自由民主主義を破壊し、共産化する目的で作った暴力組織が、中華ソビエト共和国、つまり現在の中国である。


(1)国旗

 下記の図は、中華人民共和国の国定教科書(邦訳版は明石出版 世界の教科書シリーズ)に掲載の、中華ソビエト共和国時代の国旗。ソ連の国旗である赤い旗に鎌とハンマーをあしらったデザインに、中国共産党と記載してある。


挿絵


 下図の左はソビエト社会主義連邦共和国(以下、ソ連)の国旗(現在はロシアと改名)、右は中華ソビエト共和国(現在は中華人民共和国と改名。以下、中共)の国旗。元々、中共の国旗は、ソ連の国旗に「中国共産党と記載しただけのものであり、ソ連の傀儡政権であることが容易に解る。


国旗の変遷2

(2)紙幣、貨幣の比較

 中華ソビエト政府の紙幣。漢民族でもなんでもないマルクスとレーニンが肖像であり、いったい、どこの国の紙幣なのか理解できない。(アサヒグラフ11年4月29日号より)

紙幣


四川省ソビエトの紙幣。ソ連人のレーニンが描かれている、下は貨幣で、ハンマーと鎌のマークが入っている。 (長征の道 日本放送出版協会より)

紙幣と硬貨


 比較として、中華民国の紙幣は、中国人の孫文が肖像画であり、漢民族による自主的な国家であることが推察される。

 *上は、米英が支援した蒋介石政権下の紙幣、下は日本が支援した汪兆銘政権下の紙幣。

  ソビエト政府と異なり、漢民族の自主的な銀行下で、発行された。


国民政府の紙幣


中央儲備銀行
日本が支援した中華民国、中央儲備銀行(ちゅうおうちょびぎんこう)の紙幣

 

2項 中華ソビエト共和国、日本に宣戦布告す


(1)中共、日本に宣戦布告

 共産党は、日本をはじめとする資本主義国家を、「帝国主義の侵略国家」と批判し、軍事的に攻撃し続けてきたが、中華ソビエト共和国も1932年4月26日に改めて、対日宣戦布告をした。

 このように、日本と中国の戦争は、日本が戦争を仕掛けたのではなく、中国共産党が戦争を仕掛けたのであり、謝罪をすべきは日本ではなく、中国共産党である。

下記は、「講談社 特装版 日録20世紀 第4巻」に掲載の年表。中華ソビエト共和国、対日宣戦布告。

中華ソビエト

 中華人民共和国と名称変更したのは1949年だが、実質は1921から続く「中国共産党の国家であり、日本に宣戦布告している。

 下図は 2011年6月25日 産経新聞 (及びロイター)の記事。中国共産党の90周年ケーキで祝う中國人。ケーキの左下には1921の年号、中央にはソ連国旗のマークであるハンマーと鎌が描かれている。


ケーキ


 

(2)日本への戦争するよう けしかける共産党

 中華民国は、複数の政権による分裂状態ではあったが、その中でも蒋介石政権は過去、共産党に そそのかされて、日米英仏伊の民間人に大被害を与えた前科(南京事件)があった。蒋介石は国際社会に謝罪し、二度と共産党とは手を組まない、二度と日本などの国家に敵対しないと約束をして、許されていた。


 このように当時の日本も蒋介石 軍閥も、お互いに戦争は望んでいなかったが、1936年12月12日の西安にて、中国共産党は、中華民国の大派閥トップである蒋介石を拉致/監禁し「日本と戦争すべし。共産党と同盟を結び、協力して日本に戦争をしかけろ」と、武力に訴えて諫めた。蒋介石は恐怖で足が震えるほどの状態であったが、山の中まで逃げても共産党に追いかけられるほどの脅迫に屈し、国際社会との約束を反故にし、再び共産党と組んで、日本に戦争を仕掛ける決意をしてしまった。これが世界史を変えるほどの転換点の1つ、西安事件である。

 

(下図は 明石出版 世界の教科書シリーズ<5> 中国の歴史教科書(中国中学校歴史教科書))


西安


(3) 南京戦

 蒋介石は、諸外国人を虐殺した「南京事件」の後に国際的に宣言した「もう共産党とは手を組まない」、「日本などの外国に危害を加えない」との約束を破り、共産党とともに日本に戦争を仕掛けてきた。

  日本は蒋介石軍を圧倒し、1937年12月10日〜13日には、蒋介石政権の首都南京を攻撃した。蒋介石は南京から逃亡し、南京の開放が成功。12月23日には南京自治委員会が成立、1月1日には、南京市民3万人が集まり、発会式が挙行された。


 南京自治委員会発会宣言(1938年1月1日)

 一、国民党(蒋介石の政党)の一党専政を廃止し、民衆を基礎とする政治を実行す

 二、各種親日団体と合作し日支提携の実を挙げもつて東洋平和の確立を期す
 三、防共政策を実行し抗日、排日思想を絶対に排除し欧米依存の観念を矯正す
 四、産業を振興し民衆の福祉を増進す
 五、広く人材を登用し民衆自治の徹底を期す


(南京自治委員会発会宣言の様子。  出典 アサヒグラフ (朝日新聞、昭和13年1月26日発行)

中央にいるのは、南京の宗教団体「世界紅卍字会」の陶錫三。)


1月1日


 これから3か月後の1938年3月28日には、南京を首都、梁鴻志(りょこうし)が行政院院長として、中華民国維新政府が誕生する。

 (下図は、行政院院長の梁鴻志(りょこうし)と、中華民国維新政府の国旗)

 
国旗