第3章  共産化する米国

1項 世界史を変えた痛恨の大統領選挙


 米国では反共の共和党、およびフーバー大統領が政権についていたため、日米は中国で、長く協調関係にあり、共産党の暴力に対して協力して対処していた。

 しかし米国の恐慌で経済を立て直すことができなかったた共和党のフーバー大統領は、1932年の大統領選挙で敗北し、親共の民主党 フランクリン・ルーズベルト大統領に政見を明け渡してしまった。

 
大統領

 この日を契機に世界は本来、あるはずのなかった「日米の戦争」、「中国の共産化」に、突き進むことになる。



2項 共産主義者のルーズベルト大統領

 フランクリン・ルーズベルトは大統領に就任後、公然と自由民主主義に敵対し、次々に共産党、およびソビエト社会主義連邦共和国(現在ロシア)に、協力するような政権運営を進めた。


 (1)日本との戦争に反対するリチャードソン海軍大将を、少将まで二階級の降格

   元々米海軍も国民も、日本との戦争など望んでいなかったが、海軍の軍事を、日本との戦争賛成派に塗り替えてしまった。


 (2)ソ連との国交樹立

   過去の4代の歴代大統領、および共和党/民主党に関わらずアメリカ合衆国は、「共産主義者は宗教の信仰、人間の自由と民族や国家の独立を壊す悪」との認識で、共産主義のソ連の承認(国交)を頑なに拒否してきた。しかし、ルーズベルトは1933年11月に、あっけなくソ連を承認した。


  (3)共産主義への軍事援助

中国においては、共産主義政権に大量の武器を援助する一方、自由民主主義の日本に対し石油の禁輸、さらに防衛のための軍隊はもちろん警察力すらも全面撤退させよとのハルノートの提示することにより、日本との戦争を勃発させた。

 

 *ハルノート 和訳

  「日本国政府ハ支那及印度支那ヨリ一切ノ陸、海、空軍兵力及警察力ヲ撤収スヘシ」



 

3項 汪兆銘政権

 ソ連が共産党政権を建国する一方、日本も、中華民国臨時政府や、中華民国維新政府などの複数あった反共政権をまとめ上げ、1940年3月30日に中華民国(汪兆銘政権)が建国された。


 *下記の左は、中華民国(汪兆銘 政権)の国旗。右は、中華民国 首相である汪兆銘


汪兆銘


朝日新聞 昭和15年3月31日 夕刊より 汪兆銘政権の樹立 (首都南京) 共産主義の陰謀防衛
汪兆銘政権

 中国の未来を自由民主主義にするか、或いは思想や宗教の自由の無い共産主義にするか、世界史の分岐点たるこの時期に、米国は共産主義に味方するとういう愚挙にでてしまった。

 共産主義陣営には大量の武器を供給する一方、中華民国(汪兆銘政権)を支援する日本には、ハルノートと呼ばれる要望書より 軍隊はもとより警察権力すら撤退させよとの、要求を突き付けてきた。

 また義勇空軍との肩書ではあるが、実質は米国空軍であるフライングタイガーという航空団を中国に派遣し、日本空軍との間で既に、戦闘状態に突入した。


 下の写真は、中国の蒋介石/共産党の戦闘機(翼には青天白日の国籍マークをつけている)。

 左はソ連製イリューシン15、右は米国製P-40。中国上空で日本が撃墜した敵機を調べると、パイロットは明らかに、白い肌のソ連人やアメリカ人だった。

 このように日本が米国に宣戦布告して真珠湾を攻撃する前から、日本は米ソと戦闘状態だった。

 

空軍


コラム :ソ連空軍志願兵

 1936年の西安事件で、共産党と同盟になった蒋介石は、1937年にはソ連に義援空軍を要請。大量の戦闘機、爆撃機、ソ連人パイロットが派遣され、1938年2月23日(ソ連の赤軍記念日)には、当時日本本土だった台湾さえ爆撃した。業を煮やした日本は、4月4日には重光葵  駐ソ大使を通して抗議するも、無視された。

 (日ソ不可侵条約までに送られた機数、のべ1,250機)


コラム :米国志願兵(フライングタイガー)

  米国も、P-40戦闘機を中心とした義勇航空団「フライングタイガー」で、日本空軍を攻撃、日本からの外交抗議にも「個人が勝手にやっている義勇兵のため、国家として感知できない」と無視していた。

  通常、どの国も外交機密文書は、数十年経過しないと公表されず、米国ではこの期間40年(40年ルール)が経過してから、ちらほらと新聞記者に文書が発掘される。

 1991年 7月6日のロサンゼルスタイムズにて、 「フライングタイガーは義勇軍でなく正規軍であり、真珠湾攻撃の半年前から、米側が軍事行動をスタートさせていたことを示す」ことを、報道している。

 

下図 :米国 義勇軍フライングタイガーは、1942年に米国で映画にもなったが(左)、日本でもDVDで購入可能(右)。主演は、ジョン・ウェイン。
フライングタイガー


下図:1991年 7月8日の読売新聞 夕刊。(7月6日のロサンゼルスタイムズの引用、) 「義勇軍でなく、正規軍だった。」 「真珠湾攻撃の半年前から、米側が軍事行動をスタートさせていたことを示す」
フライングタイガース


 日ソ不可侵条約の締結で、ソ連から中国共産党への援助は停止させたものの、米英の中国共産党への軍事援助は増える一方、米国空軍との戦闘も終わる兆しが見えない中、日本は東亜の未来をかけ 1941年12月8日に正式に米国に宣戦布告するも破れ、1945年8月15日に自由民主主義陣営は敗北を喫した。

 なお、共産主義者のルーズベルト大統領は、対日戦勝利目前の4月12日に脳卒中で死亡していた。


下図のように、1940年代の中国は、自由民主主義陣営と、共産主義陣営で戦っていた。

唾競り合い