川崎「大師」と言うだけあって真言宗です

久しぶりに聞くヘンジョコンゴは母を思い出して心地良い



うちは曹洞宗です

お経もそうです


弘法大師ではなくて

道元さんです


それを真剣に悩むのが妹ちゃんです


父は曹洞宗

母は真言宗


死んだら当たり前のように曹洞宗

(まあ父が決めたんですけどね)


これは全てに結びつくのよね


婚姻したら母の苗字が変わり

死んだら父の宗派で祀られ

戒名にまで父の名前が一文字入れられる


と半ば怒りにも似た失望というか虚無感を抱いてはるの



まあそう言われればそうか



それを考えて考え抜いてしんどくなるみたい



両親が死んでから

その行事をするたびに再認識するわけよ


ワシはそんな事考えた事ないお気楽人間やからな


でもまあそれを言うなら

たった半年先に亡くなっただけで

母が墓石に一番に名前を入れられ父はその後

法事で戒名を呼ばれるときも母が先で父が後

全部母が先なのよ


これどうよ

ええんちゃうのん


仏教を知り尽くしてることもなく

なんとなく見よう見まねでやってることやのに

真剣に悩むことないんちゃうのん

それとも仏教極めたいんか?


と言うと

うーんと言うてはったけどね



死んだら終わりと思ってるワシにとって

死んでからの事は本人たちに関係なく

残された者たちのことだけ

その人達が好きに解釈して受け止めれば良いねん



考えて煮詰まると視野が狭くなってしんどい

良い悪いは別にしてしんどなるねん

しんどなると生き辛いねん

悪事を働く事はあかんけど

変換して勝手に解釈するのはええことやと思うでー



お大師さん参ってそんな事思い出しました