・書評: 僕の見た「大日本帝国」 ~かつての日本の姿と歴史の真実に触れる旅~ | アジアの真実

・書評: 僕の見た「大日本帝国」 ~かつての日本の姿と歴史の真実に触れる旅~

僕の見た「大日本帝国」
西牟田靖
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写真で読む 僕の見た「大日本帝国」
西牟田 靖
4795831238


 この本の著者は、先日紹介した「誰も国境を知らない」 と同じ西牟田靖氏です。2005年発売で、発売当初から知ってはいましたが未読でした。「誰も国境を知らない」 で西牟田氏の書籍に興味を持ち、今回読んでみましたので紹介します。上記で二冊紹介していますが、「写真で読む~」 の方は文字通り写真が中心です。本編の副読本といった形で読むと良いと想います。どちらかしか読めないと言う場合は、断然本編を読むことをお勧めします。


 誰もが社会科の教科書等で、大東亜戦争時の日本の最大版図を見たことがあると思います。私も子供の時、こんな所まで日本の領土だったのかと、その大きさに驚いた記憶があります。この書籍は、戦後60年経った今、南樺太、台湾、朝鮮、満州、ミクロネシアを尋ね、そこに残る日本の姿を探し、記したものになっています。

 これらの地域には、予想以上に”日本”が残っているようです。当時と変わらぬ姿で、そのままの用途で使われる建物。そして各所に残る日本の象徴でもある”鳥居”。それらは、現地の方に保護されている物もあれば、朽ちるのをただ待つのみになっているようなものもあります。


 読んでいて驚くのが、殆どの地域において、戦争を経験した世代の方が淀みのない流暢な日本語を話すこと。地域によっては、日本語が半ば公用語になっている場所もあるようです。日本という国に住んでいると、一歩日本から外に出ると、日本語など全く通じないという固定観念が出来てしまいますが、実際は必ずしもそうは言えないという事実に違和感すら覚えます。そして、多くの地域で、彼らはその時代を懐かしく語ってくれます。


 樺太編、台湾編、ミクロネシア編は読んでいて正直気持が良かったです。樺太では予想以上に日本語が通じ、皆親切。当時の鳥居なども残り、不思議な日本が残っているようです。

 台湾ではどこでも日本語が通じ易く、総じて親日的。建造物や石碑等も多く残され、破壊の危機にあったものを、現地住民が大切に隠して守り通したものまであります。老人達は「日本の時代は良かったよ・・・」と懐かしく語ります。あるお婆さんは、日本の歌を歌い、著者と別れる際には、昨日会ったばかりの知らない日本人なのに、「これで何か食べなさいと」500元を強引に渡します。著者は、「まるで日本の田舎に来たようだ」と語っています。

 パラオなどのミクロネシアでも同様で、流暢な日本語を話す人が多いだけでなく、敬愛する日本に習って、名前を日本風にする風習が今も残っています。さらに陸海軍の慰霊碑が建つ土地を提供し、管理清掃しているのは現地の一般人。何故かと言えば、「建てる場所がなくてかわいそうだったから」ということ。さらに、現地住民たっての願いで”ペリュリュー神社”という神社が再建されており、いつ日本人が来てもいいようにと、ここもきれいに管理が行われています。

 そんな場所とは逆に、韓国編と中国編は読んでいて気分が良い物ではありませんでした。韓国においては、駅や一部の民家などを除いて日本の建造物は徹底的に破壊され、中国においては、多少残っているものはあるものの、好意的な意味では扱われていません。そして恣意的・作為的な展示に溢れる歴史資料館。毎週デモを繰り広げる”自称従軍慰安婦”達。残されている物も、人の気持も、台湾やミクロネシアとは大きく違っているようです。しかし、その中で日本時代を懐かしく語り、「日本は負けたが、それでアジアは開放されたんだよ」日本語で話す韓国人の老人の話が印象に残りました。


 文中で、今では朝日新聞でさえ使わなくなった「強制連行」という言葉が使われているなど、少々残念な点はありますが、「誰も国境を知らない」 と同じく、この本のスタンスは”右”でも”左”でもありません。この本の中に政治的な強い主張は見受けられません。いや、どちらかと言えば筆者は最初”左寄り”だったように思えます。それは、所謂戦後の”自虐教育”を受けた、ごく普通の日本人が持つ歴史観です。しかし、筆者は”かつての日本”を廻り、そこで見た物、出会った人の話から、真実の歴史に触れたことで、一方的な歴史観から開放されているようにも読み取れました。 「写真で読む~」 の後書きにはこう書かれています。


「年月が経ち、生きた記憶が絶えて記録や物語となり、それらの集積が歴史となっていく。だとすれば、その「歴史」となる前の一つ一つの「記憶」の中にこそ、国や立場や歴史観の違いを超えて共有できる「想い」があるのではないか。だから僕は、すこしでも多くの直接の記憶に触れたいと、強く思う。僕たちに残された時間は、少ない・・・」


 確かに、当時の真実を知り、日本語を話す現地の老人達は少なくなっています。彼らの記憶にあるのは、必ずしも、我々が教えられたような「残虐の限りを尽くす日帝」ではないようです。むしろ「厳しかったが良い時代」そう思う人も多いようです。しかし、それらの声や想いは、「歴史」としてくみ取られることなく、消えていこうとしています。もしそれらが「歴史」とならずに完全に消えてしまったら、残るのは我々が教えられた、「戦後になって、一方的な歴史観で解釈され、修正された歴史」だけになってしまうでしょう。著者の言うとおり、私達は、生の直接の声にたくさん触れる必要があります。そして残された時間はわずかしかありません。



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