何が不便かといえば、あるべき物が無いことがとても不便である。


しかし、最初から無ければ不便とは感じないはずだ。



我が家は今の家を建てるときにオール電化にした。


光熱費が一本化できたことは便利だが、


このような事態になるとライフラインが断たれて非常に不便な思いをすることになる。


まだガスだけでも通っていたら何とかなることもあろう。



いつも走る道路の信号も消えている。


これは不便というよりも非常に危ない。


どんなに交通量の多い場所でも、ある時間帯に突然消えてしまう。


自転車で通うことも可能だが、車なしの社会生活は今さら考えづらい。



会社でも自宅でも防犯システムを採用している。


しかし停電になるとシステムは稼動しない。


そんなものをつけてたから余計な心配事が増えてしまう。




電力会社が作ってくれる電力で、我々は当たり前のように電気エネルギーの恩恵を受け


豊かな暮らしを得ることが出きた。


我々が生業とする製造業も電気無しでは何も出来ない。


そして、そのエネルギーの多くは原発によって生み出されていたことが今回の事故で改めて分った。


東電のホームページの「私は原子力発電所で働いています」というサイトでは、


現場の方々の努力と誠意も伝わってくる。


しかし、このような事態になるとそのシステムのリスクが思った以上に大きかったのだということも知らされる。


今さらながら、改めて電気の生み出し方と使い方を議論すべきときである、と感じる。



人類の知恵は無尽蔵に湧き出てくる。


人類はもっともっとエネルギー源を含め創造する力がある。


逆バージョンだが、ハイブリッド自動車だって出来てしまったではないか。


太陽光発電の効率化もまだまだ伸びしろがある。


水素のあるし風力もある。


最初は多少の不便は出てくるかもしれないが。




そして住むべき場所も見識のある学者に耳を傾けて、行政がきちんと指導していこう。


三陸海岸沿いは津波の悲劇が何百年ものあいだ定期的に繰り返されてきたはず。


浜辺に住みついていた人や家が津波にさらわれる。


しばらくのあいだは、人々は神々を恐れて、高台に集落をつくる。


しかし毎日のように舟をおろし、漁を終えて、収獲したものや漁具を担いで坂道を登って帰るのはしんどい。


10年、20年、津波の記憶が薄れるにつれ、ひとりふたりと、浜辺の漁小屋に漁具を置きっぱなしにする。


朝昼のメシをここで済まし、やがて寝起きもするようになり、家族も合流する。


そしていつしか、一世代(25年)二世代(50年)経つうちに、


津波の恐怖が忘れられてしまう。



土木技術が進んで、防波堤を沖合い遠くまでのばし、内側を埋め立て、田畑を作り、宅地を作る。


裏山にトンネルを掘って自動車道路をつくり、工場を誘致する。


つい百年前までは数十人が住んでいただけの寒村が、いつか数千人の賑やかな町になる。


住人は仕事も辛い漁業から工場勤務に移っていく。


お母さん方も近くのスーパーでパートを始め、普通の街となっていってしまう。



しかし、自然はそんなこと知ったこっちゃ無い。


気まぐれに大きな欠伸をするように一波立てて、すっと引いてしまうだけ。


そこですべてを振り出しに戻す。





テレビでもバラエティー番組を放映するようになってきた。


「笑い」が必要なタイミングかどうかはいろいろな立場で異なるであろう。


プロ野球のセ・パも開幕時期についての意見が大きく食い違っている。


自分達のやっていることの誇りの差なのか、考え方の相違なのか?


実際に「野球」や「お笑い」を観て、元気付けられる人もいるだろうし、


まだ観る気にもなれない方もいらっしゃると思う。



ただ、我々にはチャンネルをチョイスすることが出来るので見たくなければ見なければ良い。


ここでも需要と供給のバランスが必要となる。





一番必要なことは「喉元過ぎれば・・・」とならないこと。

多少不便でもいいんじゃないかな。


自然に逆らったり、人間が操作できないようなものを使いこなそうとしない方がいい。


生活レベルを落とすことってとても勇気の要ることなのだけれど、


今なら出来るんじゃないかと思う。


みんな大事な家族を失いたくないから。