「五番街のマリーへ」 ペドロ&カプリシャス | 昭和歌謡ブログ マンボウ 虹色歌模様

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五番街のマリーへ ペドロ&カプリシャス


"フランク永井 大阪ろまん"つながりで、「五番街のマリーへ」ペドロ&カプリシャス1973年(昭和48年)です。

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一体どんなつながりかというと、
「五番街のマリーへ」は1973年8月、阿久悠、都倉俊一らが横浜港から出発した「日本一周・ろまんの船」の船上で作られた曲です。


「ろまんの船」は、豪華客船に女性700人が生徒として乗船し、講師として、阿久悠、都倉俊一、三木たかし、中村泰士、井上大輔、森田公一が乗り込んで、作詞教室やら、作曲教室やらを洋上大学として開催しながら、日本一周したイベントなんですね。

1週間かけて日本一周している間に、船上で阿久悠と都倉俊一が「ジョニィへの伝言」に続く曲として作ったのが、「五番街のマリーへ」でした。

「五番街のマリーへ」 ペドロ&カプリシャス
http://www.youtube.com/watch?v=6a-WzDFhOIY
作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一

五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
どんな暮ししているのか 見て来てほしい
五番街は古い街で 昔からの人が
きっと住んでいると思う たずねて欲しい
マリーという娘と 遠い昔に暮らし
悲しい思いをさせた それだけが気がかり
五番街でうわさを聞いて もしも嫁に行って
今がとてもしあわせなら 寄らずにほしい



ペドロ&カプリシャスは、1971年に「別れの朝」がヒット。
この時の女性ボーカルは前野曜子でした。
高橋真梨子は2代目ボーカル。当時は高橋まり。

「ジョニィへの伝言」も「五番街のマリーへ」も無国籍ソングって云われていますね。
阿久悠も「五番街のマリーへ」の時には意識して書いたようです。
どこをイメージしたんでしょうね。


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