魅惑の昭和歌謡 『骨まで愛して』 城卓矢
氷川きよしもアルバム、ステージで歌っている曲。
オリジナルは、昭和41年の城卓矢。
この年は、大相撲で大鵬が5場所優勝し、野球では読売巨人軍がV2を達成し、世に“巨人・大鵬・卵焼き”と言われ出し、また、日産自動車からサニー、トヨタからカローラが発売され、本格的なモータリゼーション幕開けとなった年である。
そんな時に、『骨まで愛して』 などとギョッと目を引くタイトルの歌が発表された。
作詞:川内和子 作曲:文れいじ
川内和子は、おふくろさん騒動で話題になった川内康範。
実は城卓矢は川内康範の甥にあたる。
また、作曲の文れいじは、『命くれない』、『兄弟仁義』の作曲家で実兄の北原じゅんの別名。
川内康範は同年には他に、『恍惚のブルース』(青江三奈)、『東京流れ者』(渡哲也)の作詞も手がけている。
どれも、それ迄の歌謡曲のタイトルには使われないようなインパクトのある言葉。
川内は、彼の原作『愛の戦士レインボーマン』の中でも、悪漢一味に“死ね死ね団”という、おふざけとしか思えないようなネーミングをしているが、一度聞いたら忘れない言葉の使い方は当時としては飛んでいた。
(川内が作詞した、死ね死ね団のテーマが、これまた脳天を突き抜ける歌詞です。)
さて、『骨まで愛して』は、サックスが重厚に響き、城卓矢が ♪ い、い、いーきてるー かぎぃーりーはぁー ♪ と個性的な節回しで声を張れば、タイトルに負けない迫力がある。
城卓矢は、早稲田大学を卒業後、ウエスタンを歌っており、その声量は充分すぎる。
『骨まで愛して』城卓矢
生きてるかぎりは どこまでも
探しつづける 恋ねぐら
傷つきよごれた わたしでも
骨まで 骨まで
骨まで愛して ほしいのよ
作詞:川内和子 作曲:文れいじ
で、オヤッと思うのが“恋ねぐら”という言葉。
”恋”と”ねぐら”を重ねた言葉って、昔からあった?
まあ、この歌自体が充分に昔なんだけど・・・。
今はたまに目にするこの言葉は、この歌で初めて川内が使ったんではないかと思っています。(違ったらゴメン)
とにかく、愛して愛して愛して欲しいと一途に(というか、一方的に)、願うこの女性の歌には、女性の弱さは感じない。
逆に、男をグイッと引張るような強ささえ感じる一曲です。
この『骨まで愛して』を残して、城卓矢は53歳で鬼籍に入った。
男性歌手