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ココロの病気とつきあう(新米ママ)

2012/03出産
メンタル疾患あり、毒親育ち

夏風邪を引いてしまった。昨日から。


昨年の10月から5か月ごとに風邪を引いてます。

子供が生まれてから初めての風邪、不安で不安で仕方ないです。


私の最近の風邪の具合は、数日かけてだんだんひどくなり、

一番ひどい状態で数日停滞して、また治って行く感じです。


だから、今はまだあまりひどい状態では無く、

でも耳は抜けにくくティッシュも手元にないと辛い状態。

これがどんどん状態悪化していくんだなーと思うと暗い気持ちになってしまいます。


冷静で居られる時もあるのです。

耳が抜けなくても、風邪はいずれ治るから数日の辛抱だと思えば怖くない。

本当にそう思えて気楽に過ごせる時間帯もあるのですが、

本当にふとした瞬間「あ、耳が抜けない」と思うと急に恐怖感パニックが0から1000くらいに跳ね上がり

脈拍が大変なことになり座ってられなくなってしまいます。


この突如訪れるパニックさえどうにか出来ればといつも思いますが

どうしてもそれが無理で苦しみ続けているのですね・・・


明日の朝、どんな体調になってるのか不安です。


来週の今頃は・・・もう山を越えて快方に向かってるはず。

そう信じて頑張ろう。お母さんになったのだからこんなことで泣いてられない。



先週の金曜日、両親に会ってきました。


家の側のファミレスでしたが、席に着くなり母親が息子を抱っこさせてと言うも

「話し合いが終わってからにしてください」と旦那がキッパリ。


「ひどいことをしたと思ってる。申し訳なかった。」と2人で頭を下げる両親。

謝りたいと思いながらタイミングが分からず先延ばしにしてしまったと。


旦那からは、

「されたことは今後も忘れられないし、わだかまりはあるけど仲良くやって行ったほうが良いと思う。

仲直りの条件は、今後は彼女(私)のことをもっと大切に、彼女の気持ちを尊重してほしい。

傷つけて泣かすようなことはもうしないで。親としてちゃんと可愛がってがて欲しい」

と言ってくれました。


両親曰く、娘として可愛いと思っているし大切だからそれが伝わってないのは寂しい、と言われたので、

「私は大切にされていないと思った」と伝えました。


乞われて里帰りして、大切にしてもらえず。

旦那共々傷つけられ、生傷も癒えぬまま帰宅する羽目に。

兄とは楽しそうにしている様子を目にして、

こんな扱いをするくらいなら、2人目なんて産まなければ良かったのでは?と思ったこと。


伝えると項垂れて「悪かった」とつぶやきました。


元の優しい父に戻る努力をすると誓ってくれたので、旦那と許すことに決めました。


4か月ぶりに会う息子に「大きくなったね」と驚いていましたが、

嬉しくてしょうがない様子でした。


まだ元のようになるのは時間がかかりますが、少しずつ距離を縮めていければと思ってます。

父がまた暴走しないために、息子が鎹になってくれればいいな。。。


そういえば、昨晩からうっすらと体調が悪く今朝から喉の調子が悪く

くしゃみとサラサラした鼻水。

どうやら風邪を引いてしまったようです。


母乳を続けるためには安定剤を飲む訳に行かないので頑張らないと。

明日両親と会うことになりました。


4月にひどい、本当にひどい罵り合いをしてから4か月。

旦那と荷物とまだフニャフニャだった息子を連れて飛び出して4か月。


きっかけは私が母に電話したこと。


4日誕生日(還暦)を迎えた父。

1年以上前から旦那とは良いお店予約してプレゼントや花束を用意して・・・

豪華にやってあげようねって話してたけど、

あんなことがあったからもちろんやらない方向で。


でも4日は、一日中「今頃淋しく過ごしているのだろうか」と、

本当だったら一緒にお祝いをしたはずなのにと考えては胸が苦しくなっていました。


しかし8日、何故か父の名前で荷物が届く。

開けてみると沖縄そばと紅イモタルトが入っていた。

もしやと思い兄のブログを覗くと、そこには両親と3人の写真が。

兄は今沖縄転勤中。

両親が沖縄へ旅行に行き、4日一緒に過ごして還暦を祝った旨書いてありました。


無性に無性に無性に腹が立って怒りで震える手で何とか電話。


次から次へと流れる涙をぬぐいながら、

金輪際中途半端な状況で物を送らないでと伝えた。

私がどんな気持ちで父さんの還暦祝いの為にずっと情報収集してたか。

一緒に「喜んでほしいよね」と情報収集してくれてた旦那の気持ち。

全部ぶち壊したのは自分たちなのによりによって兄ちゃんのとこに行って家族3人で

楽しく過ごしてたかと思うと、許せなかった。


還暦の日を寂しく過ごしているだろうなと思えば可哀想だったけど、

でも自分が蒔いた種だから、寂しく過ごして反省するべきだとも思ってた。


私と旦那にはあれほどひどいことばかりして、喧嘩しかしなかったのに。

昔グレてさんざん迷惑をかけてお金もかかった兄とは楽しそうに過ごしている・・・


もう感情が抑えきれず家中歩き回りながら電話で怒鳴り散らしてしまいました。


母は「還暦のお祝いをしてもらいにいったわけじゃない、誤解だから」

「お父さんは反省してて謝りたいって言ってる」「電話するつもりだったのよ」と言った。


でも私は母の「お父さんも反省してるから」は信用しない。

今まで何度もそうやって嘘ついて父のフォローしてきたのを知ってるから。


電話を切ってしばらく息子を抱きしめて泣いてました。


しばらくして父から着信とメールが入っているのに気づきました。


メールには、「○○(私の名前)ごめんなさい」と書いてありました。

退職して旅行に行こうと思い立って、母が行ったことが無い沖縄にしたけど、

決して還暦祝いをしてもらいに行ったわけじゃなく、

兄には観光案内をしてもらって一緒に食事をしようと行ったけど、

お祝いは兄からのサプライズだったとのこと、

7月に花火大会で赤ん坊を見かけて、どうしてあんなひどいこと言ってしまったのか、

謝らないといけないなと思っていたがタイミングを迷っていた、

出来れば謝って仲直りをしたい、

という内容のメールでした。


旦那と話して、とにかく会って話そうということになりました。

それで、明日の夜うちのそばのファミレスで待ち合わせになったわけです。


きっと2人は神妙な顔をして頭を下げると思う。

それで多分私たちは、今後こういう喧嘩はしたくない、と伝えて許すのだろな。


もう、会う前から許すことは決まってる。

そういうふうにしか出来ない。


謝ってもらうしか許せる方法は無いし、謝ってほしいけど、

両親がしょぼくれて頭を下げる姿なんか見たくない。


でももう終わらせられるなら、4月からのこんな辛い気持ちはすぐにでも終わらせたい。

今日、旦那とランチの買い物の帰りに子供の頃の話をしていて

親との関係を色々と思い出していました。


例えば小学校時代。

学校では有料のサッカー教室があって、習っている友人に連れられて

1日体験レッスンしてものすごく楽しかったこと。

帰宅してから母親にサッカー教室に通いたい旨懇願するも、「ダメ」「必要ない」の一点張り。

キッチンで料理する母のエプロンをつかんでそれこそ泣きそうになりながらお願いするも

「しつこい、あっちいってなさい」。


あの時のどん底に悲しい気持ち、今でも覚えてる。


サッカー教室に入ってるみんな、本当に楽しくていい子たちで。

私も仲間に入りたい!って強く思った。みんなも待ってるよって言ってた。

でも、理由も無く私の顔も見ず却下。


もうご飯も食べたくない程で、気を抜くと泣いてしまいそうで。

最高に楽しくて沢山笑った体験レッスンを思い出しては心がギュッと苦しくて悲しくて。

あの気持ち、今でも忘れられない。


思い出してみれば、私は望んだことをやらせてもらったためしは無く

欲しいものを与えられた記憶も無い。

母はまず一言目に「ダメ」が口癖でこれは父もネタにしているくらいだった。

母で却下されれば無論父で覆ることも無い。


兄は可愛がられていたから、グレて成績は最低で暴力や警察沙汰を引き起こしても

望みは叶い欲しいものは与えられた。


例えば小学校時代、成績が上がってゲームを買ってもらった兄。

私は幼少期から兄には殴られ奪われいじめられ尽くした。

無論そのゲームには指一本触れさせてもらえなかった。


私も成績が上がったので買って欲しいものを言えば、「いったいどれだけ昔の話をしてるの」と

何故か叱られて、ため息をついて呆れられて何ももらえなかった。


例えば中学校時代、成績が2から3に上がったという理由で兄は3千円もらった。

私は4から5に上がった科目があったのにお小遣いをもらえなかった。

不公平だと言ったら「お兄ちゃんはそうでもしないと勉強しないのよ」。


例えば高校時代、私は洋服を全く買ってもらえず兄のお下がりや毛玉だらけのセーターを着ていた。

だからアルバイトを始めて、一生懸命稼いで自分で欲しいものは買った。

兄は高校を辞めて一度家を出たが出戻ったいわゆるニートだった。

ある日母が兄に2万円渡しているのを見た。

「何で?私は自分で働いているのに」と詰め寄ると母は「見られちゃった・・・」と面倒そうに呟いて

「お兄ちゃんは本当にお洋服が無いんだって。だからしょうがないの」


大学時代は、再び仕事を辞めて出戻った兄に遊び金を渡していた母。

私が再び言及すれば「あんたには大学に行かせてやったじゃない。」

私は勉強が嫌いで高校時代に大学では無く専門に入ってすぐに働きたいと言うと

断固反対して4年生大学に行けと言われ両親に従っただけなのに。


就職した時。

何故か私だけ、父方の親族11人(両親私含め)、母方10人(両親私含め)に

「今までお世話になったお礼」ということで料金私持ちで食事会をやれと両親に言われ実行。

全部で13万円支払った。

これ、兄はやってない。何で私だけ?


兄が友人とハワイ旅行に行くとき、5万お小遣いをあげていたことが判明。

母のいい訳「お金が無いんじゃ可哀想じゃない。」

思いついたように「あ、私がお土産お願いしたからその金なのよ!」。

兄のお土産はマカダミアナッツ入りのチョコレートとハワイのお守り。

随分と高価なチョコとお守りですね。


小学校の時、私は嫌だと言っているのに無理やりショートカットにされていた。

それも単なるショートでは無い。襟足は刈り上げられた。


好きな男の子もいた。可愛いお洋服にも憧れた。何度も嫌だと泣いた。

それでも美容院では問答無用に「短く後ろ刈り上げてください」と母は美容師に依頼した。


だから私は今でもショートカットにはよっぽどの理由が無い限りしない。

ロングが好き。最低でもミディアム。

100%女性だとわかる髪の長さにしかしたくないのは昔のトラウマだと思う。


私は息子をきちんと躾けて、元気だけど心優しく、

善悪の判断がきちんとできる子に育って欲しいと思うしそう育てたい。


でも、可能な限り「やってみたい」という気持ちを大切にしたい。

私は何もさせてもらえなかった。そのことへの強烈な恨みが今でもこんなに残ってる。

何でもかんでも「ダメ」から始まる母親には絶対にならない。


甘やかしてばかりの親にはならない。

でも、甘やかす時は思い切り甘やかしたい。

髪型も、不衛生や非常識でない限り好みを優先させてあげたい。


もし2人目を産むとして、、、

絶対に私のような思いを、2人のどちらにもさせたくない。


ちゃんと心に刻んで育てていきたい。

昨日、以前派遣で勤務していた企業の方の送別会に誘われて行ってきました。


その企業には1年半ほど居ましたが、ほんの一部の方が仲良くしてくれましたが

部署のほとんどの人とは全く交流しませんでした。


何故って、私は部署の庶務で入ったのですが、

産休・育休でお休みする方の代理だったんです。

その方が復帰するので2011/3/31で契約満了になるのは最初から決まってました。


だから、みなさん「ホンモノの庶務が復帰するまでの代理の方」という認識で

仲良くなったところで無意味だと判断されたのだろうか。


まじめに仕事をしていたし、笑顔で声をかけていたし。

それでも部署の方々の態度は最初から割と冷たいものだった覚えがあります。

産休に入る社員の庶務さんは人気者で、苗字にちゃん付けで呼ばれていました。


仕事も無く、本当に「居るだけの存在」でした。

一生懸命何か探して、備品の整理だの、社内便封筒の作成だの、

全てやりつくしても仕事が無く。

上司に確認しても「特にないんだよね」とだけ言われて。


楽でいいじゃん、と言われそうですが。

9時から17時半までやることは無いけど、長時間席を外していい訳でも無いし、

ネットや雑誌を見ていていい訳でも無い。

無論、寝てもいけない。

何もせず座席に座って何かしているふりをしながらそこに居続けないといけない。

朝から夕方まで。


これ、今までのいかなる仕事より辛かったです。

せめて部員と仲が良ければだれかと会話も出来ますが私は1人ぼっちでした。

一部飲みに誘ってくれる方々は基本外出してたし・・・

拷問みたいで、仕事に行くのが嫌で何度も辞めようと思いました。


時給1650円ももらってたけど、もっと時給低くていいから仕事がやりたいと思いました。

20代の貴重な時間、何か学んだり、人と出会ったりできる貴重な時間を

1650円もらう代わりにただ無駄に時間をドブに捨ててください、というような仕事。

自分にとってプラスになることが純粋にお金だけでした。


しかも精神的な辛さを考えたら時給1650円、安すぎだと思いました。


私の過呼吸はこの会社に勤務している時に発症しました。

正直、ストレスのせいだと思ってます。


・・・・・・・さて、前置きが長くなりました!


先日、社員庶務さんからメールがあり、よく飲みに誘ってくれた方が

6月末でお辞めになること。

送別会を開くので良かったら来ませんか?とのこと。


悩みましたが、良くしてくれた方だったので参加することにしました。


庶務さんもいい人だし。

庶務さんは最初の引継ぎ時と、逆に彼女が復帰するときに私から引き継ぎとで会っています。

優しい女性でママトークも出来るので会えるの楽しみにしてました。


しかし前日の詳細連絡で、庶務さんはお子さんを預けられず行けなくなったと言われました。


その時に、すごくすごく迷いました。

でも、お世話になった方の送別会だし、仲良くしてくれた一部メンバーも来るだろうし

何とかなるって思って行くことにしちゃいました。


そして、旦那には会社を早めに出てもらって最寄駅で息子バトンタッチして

お店に到着しました。


すると座席は長テーブルに12、3人ずつ向い合せ。

どこに座ればよいか迷っていると、

「僕ここどきますからどうぞ」との社員男性の言葉。


何も考えずに座りましたが、私の両サイドは同じ部署でもほぼ話したことのない方。

目の前3名は知らない方。

幹事が即座に会費の4000円を回収しに来たので渡しました。


そこから・・・1時間以上誰とも会話をせずただ出てきた不味い料理を食べ、

ソフトドリンクを飲んでました。

あまりにアウェー感に話しかけることも出来ず。

何も話しかけるネタも無く。

目の前に至っては知らない人なので何も話せず。


肝心の今回の主役が私の所に話しかけに来てくれたのは

1時間以上たった時、ほんの10分でした。

仲良くしてくれた一部メンバーは来てませんでした。


横を向くことも前を向くことも出来ず、下を向いてまずい料理食べてました。

せめて料理だけは自分の分きっちり食べよう。

そうでもしなければ何のために来たんだかわからない。


長テーブルだったので頻繁な席移動で色々な人と話すようなことは無理でした。

一緒の部署で働いていた知っている方は何人も居ましたが誰も話しかけに来ませんでした。

夫と息子と過ごす時間を犠牲にして来たのに、完全な無駄足でした。

誰かしら気を遣って輪に入れてくれると思った自分が馬鹿だった。


だって働いていたときから何の優しさも無く、配布物を配って回っても

会釈すらしないコミュ障の理系軍団だった。

何で一瞬でもこの人たちが自分に気を遣ってくれると思ったのだろう。


周りの笑い声を聞きながら下を向いて食べてました。

デザートまで平らげて、主役に「子供と夫が待ってるので」と挨拶して抜けて帰りました。


虚しかった。

久しぶりに色々な人と話せるかな~なんて実は少し楽しみにしてた。

ちょっとオシャレして、念入りにお化粧して、おニューの靴はいて。

で、下向いて食べてただけ。

自分が恥ずかしかった。惨めだった。


今回は完全に選択ミス。

この会社の人たちは私が付き合うべき人たちでは無い。

それはとっくに分かってたし私もハッキリ言って嫌いな職場だった。

辞めて1年以上た経ってちょっと忘れてた。

でもハッキリ思い出した。

この会社で働いてた時の虚無感、疎外感、不信感。


旦那が息子抱っこひもで駅まで迎えに来てくれた。

死ぬほど安心した。


家に帰ってから少し泣いた。

でも私には抱きしめてくれる旦那と、その旦那との可愛い息子が居る。

だからこんなことすぐどうでも良いことになる。


でも忘れないでちゃんと覚えておこう。

今後この会社の人間から連絡来ても金輪際集まりには出向かないし関わらない。


今回の事で本当にもう懲りた。

辞めてなお嫌いになれる元職場ってそうそうないと思う。