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ココロの病気とつきあう(新米ママ)

2012/03出産
メンタル疾患あり、毒親育ち

母曰く、最近父はあまり活発に面接や説明会に行っていなかったとのこと。

それで「あんたそんなんでいいわけ?働く気なくなったわけ?」と責めると、

「ああ、俺はもう働きたくない」と言い出したのが許せないとのこと。


父曰く、母は月15万以上稼げない仕事は絶対にお断りだし

それ以下では到底暮らしていけないと言われたそうです。


で、私は実家の経済状況について聞いてみた。


母は毎日毎日うちにはお金が無い、お金が無いと言いながら生きています。

でも、ずっと働かないとちょっとまずいにしても、

そこまで嘆かなければいけない程金が無い訳がないんです。


うちの実家のマンションは埼玉で新築の高級マンションで、

100平米超え4LDKで4500万ほどで購入したとてもとても贅沢な自宅です。

私から言わせれば、たった半年程度働かなかっただけで死ぬ死なないの喧嘩になるようなら

なぜ4500万もするマンションを買ったの?って話し。


お前らは後々の人生の計画も立てられないのかと。


父が言うには、生きていけないなんてことは無い。

母さんが気にしてるのは、どちらかが死んだとき1人が老人ホームに入れる蓄えはあっても

2人そろって倒れたらおしまいだからお金はあるに越したことがないという意味だ、

と言っていました。


でも、それを過剰に心配しすぎれば誰も何もできない。


だから私は母に、そんなに心配で金が無いならマンションを売れと言いました。

うちの間取りなら恐らく3000万以上で売れるはずなので。

それで、中古の2DKあたりを1500万くらいで買えばいい。

本当にお金が無いのならそうするのが当たり前ではないだろうか。


しかし母は、父がマンション売ってそのお金を半分ずつ分けて別れましょうと言っている。

あんたまでそんなことを言い出すのか。

あんたがそう言うならそうするしか無いんだろうね、と恨みがましく言って来るのです。


私はたまらず、

「いい加減にして、私には2人の離婚するしないは関係無いから。

ましてはもう結婚して別の家の戸籍に入ってるんだから。」

と怒鳴ってしまった。

すると、私の話は聞いてくれない、あんたなら気持ちわかってくれると思ったと。


冗談じゃない。

あなたのどんな気持ちを「わかるわかる」と聞けというの?


そもそも私なら・・・


私は、自分の旦那がとても不器用なことを知っているから、

何かやらかして会社を首になったとしても大して驚かない。

その時は速やかに共働きをするつもりだし、もし旦那が体を悪くして働けなくなったら

身体を売ってでも深夜勤務になってでも夫と息子2人を食べさせてやるくらいの自信がある。

その覚悟があるから彼と結婚したのだ。

結婚ってそういうのもではないのだろうか?


母だって、責めるくらいなら自分が働けばいい。

月に15万欲しいなら、7万5千円ずつ稼げばいいだけではないか。

今コンビニでさえシニアのアルバイトを採用しているのだから、

マンションの隣のスーパーで2人そろって週5、7~8時間ほど働けば

15万どころか20万ほど稼げる。


母は私が小学生のころ働いていた和食屋で、店長と喧嘩になって首を切られた。

母は悪くない。若くて馬鹿な店長が、お客のクレームを握りつぶそうとしたことに

苦言を呈したら、やっかいな人間だと思われて切られた。


母が人間不信になる気持ちは分からなくはないけど、

それ以来「私はもう絶対働かないって決めたの」とずーっと専業。

それに文句も言わず、1馬力で家族4人食わせて私を大学にまで入れて、

退職金でマンションだって買った。

母が父の何を責められるのだろう?と私は思ってしまうのです。


結局、今週の還暦祝いは無期延期、お店の予約はキャンセル。

もちろん実家にも泊りには行かないことになりました。


電話を切る最後父に、今後母がこういう揉め事で私に電話しようとしたら

止めて欲しいとお願いしました。

子供が生まれて幸せで、大変な毎日を送ってるのにこういうことで巻き添えで

嫌な気持ちにさせられるのは勘弁してほしいと。


さらに、私は産後2週間で実家から飛び出して以来、

いかなる喧嘩を旦那としようと、もう二度と両親に頼らないと決めて実際電話していない。

里帰り時の事も含めて、こちらが頼りたいときに助けてくれなかったのに

こんな時私に電話してくるのは都合が良すぎるし迷惑であること、

夫婦の問題を「子供」である私を巻き込んで困らせるなんて、依存しすぎだとも伝えました。


父はただただ「そうだな」「ごめん」「すまなかった」とばかり謝ってましたが

恐らく母は私に対して八つ当たり的な怒り方をしていると思います。


でも、もう勘弁してください。

離婚するなら勝手にすればいい。

孫までできて、殺したいほど憎く死にたいほど人生がつまらないと言うなら

私には助けられることなど一つもない。関わりたくもない。

だって私は幸せになるために、幸せにするために、前向きに生きていくことに精いっぱいだから。

負の底なし沼に引きずる込もうとしている時点で、

もう私の幸せなんてどうでもいいわけね、と思ってしまった。


そもそも、うちの実家は3人家族では無く4人家族です。

何故私に連絡してきて兄に連絡しないの?

兄には迷惑かけたくないからでしょう?

普通、親はそういうもの。子供に迷惑かけないようにするはず。

ましてやこんな内容の喧嘩に子供を巻き込まない。


兄にだけは親らしい親で居続けようとするけど、

私に対してだけは親で居ようとしていない気がする。

私は両親の友達でも保護者でも無い。


「こんな歳になってまでお金でこんな苦労するなんて思わなかった」と

母は泣きながら言った。


私は孫が出来るような歳にもなって、育児中の娘に夫婦喧嘩で迷惑をかける

その情けなさに泣いてほしいと思った。


去年の8月に両親と和解して、ずっとやろうと考えていた

父の還暦祝いを今週末に予定していました。

もうお店も取って、両親に「還暦祝いしましょう」と伝えるととても喜んでいて・・・

何だか、笑いたいような泣きたいような、すごく幸せな気持ちになって、

私自身楽しみにしていたんです。


でも。


昨晩父の携帯からの電話に出ると、母が狂ったように泣いて嗚咽しながら

「お父さんに殺されるーー!」と叫んでいた。

ハッキリ言って、その瞬間に心配よりも嫌悪感が湧きあがってうんざりした。

日々の家事や育児の疲れがいきなりどっと出たように肩や頭が重くなった。


話を聞けば、母は父に腕をひねりあげられたとのこと。


でも私はおそらく母が何かやらかしたのだろと思った。

私は、「父さんに就活の事で何か言ったでしょ?」と聞くと「言ってない!」と答える。


父は去年の8月の60の誕生日に再就職先を退職して、今再び職探し中なのです。

父は血液に異常があり通院していて、そのことがネックになり

採用を断られ続けて本人も態度には出さないけど落ち込んでいて、

「しょげてても仕方が無いから、前向きに頑張ろうと思っているよ」と言っていた。


しかし母は口を開けば「うちは無職だから」「みじめだろう、笑ってちょうだい」などと

自嘲的に笑っては私をイライラさせてきた。

一番の理解者であるべき妻が、たった半年仕事が見つからないだけで

ここまで自分の夫をバカにして被害者ぶって。

そのくせ、雇ってもらえそうな警備員やタクシー運転手などは

父が説明会に行こうとしても、「そんな恥ずかしい仕事冗談じゃない」などと文句ばかり。

職業差別ばかりして、自分で働く気は一切ない訳です。


「何故、腕をひねりあげられたの?」


と私が聞くも、話は訳の分からない方向に飛んでいく。

「私の実家の遺産について弟にどうなってるのかちゃんと聞けって言った」

「死んだ義両親にこき使われて辛かったことを話したら、

全部おまえが好きでやってたんだから、お前が全部悪いと言われた」


で?どこで腕をひねりあげられたのか意味が分からないので父と代わってもらうと

大体の話の流れが分かった。


・最近も就活の件で文句ばかり言われて喧嘩ばかりしていた。

・見つけてきた仕事には文句ばかり

・険悪な空気のまま飲みに行き、母が義実家での文句を喋り出す


※父方の祖父は他界、祖母は認知症で施設暮らし。

将来一緒に暮らす、長男の嫁ということで特に正月はさんざんこき使われ、

叔母2人も手伝わず真冬に母が一人で台所仕事をしていた。

結局、同居の為の家を建てるための土地を購入する直前で「やっぱり一緒に暮らさない」

と祖父母が断ったため一時絶縁状態に。

結局祖母が認知症になったため、一緒に暮らしてはいないもののうちの両親が

ほとんどの面倒を通いで見る羽目になり、祖父が死ぬまでそれが続いた。

祖父の死後は叔父叔母と遺産の件で泥沼の争いになり絶縁。


・就活の事で責められ機嫌が悪い父は「お前が悪い」と冷たく突っぱねる。

・父がお前こそ自分の実家の遺産についてちゃんと知っておけと母に一喝。

・帰宅して大げんかの末、母が「死ぬ」「殺す」と騒ぎだしキッチンへ向かう。

・堪忍袋の緒が切れた父が母の腕をひねりあげる。

・父が包丁を持ってきて、「それならもう好きにしろ。殺せ。俺を刺せ」

・母、私に電話


確かに父が母に手をあげたことは褒められることではないが

私にはどうしても母の味方が出来ません。

私は何度も、「就活の事で責めるのはやめろ」と母に言ってきたはずですが

あの人はそれが出来ない。

父が母に言ったことは、喧嘩している状態での売り言葉に買い言葉のようなもの。

普段は母に付き合って、自分の両親や弟夫婦の悪口を言っています。


母も、自分が相手を挑発して怒らせた状態で、

何故自分の味方をしてもらえると思って父に向って義実家の悪口を始めたのか・・・


何故ここまで自分本位の行動を言動と思考しか出来ないのか。

本当にウンザリしてきます。



※長くなるので、つづく

おめでとうございます。

ウジウジした日記を書いて歳が明けてしまいました。


あの後もゆるーく過呼吸と付き合っておりますが、

三が日実家に帰っていた帰りの電車の中でパニックを起こし薬を飲んでしまいました。

妊娠してからすっかり電車酔いをするようになってしまい、

体調が思わしくなく頭痛と吐き気で眠いのに寝れない状態が続き

ついにレキソタンを飲んでしまいました。


その後数日母乳を休みました。

薬を飲めば早く落ち着きますがやはりショックでした。


前回の日記を書いてからもう1か月近く経つけど

時間が流れるのって意外とあっという間。

忙しくしていればしているほどあっという間。

過呼吸になるのって暇なときや何もしていない時なので、

極力忙しく家事や育児や何かしらしていれば気を反らせるのでそうしています。


でも気が付けば母乳を打ち止めると決めた1歳の誕生日まであと2ヶ月と少し。

何度も何度もパニックを起こしながら、数回薬も飲んじゃったけど、

よくぞここまで母乳を辞めず、極力薬に頼らずやってきたなぁと思います。


安定剤ってすごいですよね。。。


過呼吸になったときにそれを収めるというより

飲んでれば毎日楽観的で呼吸なんか全く意識しない状態が保てる。

いい意味で精神を鈍感にするんですよね。

妊娠中、本当に狂ってしまう前に恐怖で自殺しかねないような苦しい状態も

レキソタンを毎日飲んでればちゃんと笑顔で居られた。


妊娠後期、旦那との喧嘩も無く、実家でのトラブルも無い

1月後半から2月後半の実家に帰るまでの1ヶ月が最高に楽しかったのをよく思い出します。


出来るだけ薬に頼らないで今後も生きていきたいけど、

子育てで大変なうえ、しょっちゅう過呼吸やノイローゼに悩まされたので

卒乳後は少しまとまった期間ちゃんと薬を飲んで治療したい。


そういえば、子供が出来てから本当に本当に人と会う機会が少なくなりました。

息子との毎日は幸せですが1か月間以上身内以外と会話をしないこともザラ。


数か月に一回大学時代の親友と会ってる以外は、

高校の友達が4月に1回、元職場の方たちが7月に1回、

中学校の友人①が6月と10月の2回、友人②が昨日の1回。


こうやって書くと私ってホンット友達いないなぁ。

児童館でも全然話しかけられないし、連絡先聞いたりお茶するなんてとっても無理。

このままずーっとこんな感じなのかな。

最近淋しくて淋しくて、新しい誰かと出会ったり繋がったりしたい気持ちが強いです。


優しい旦那、可愛い息子がいて贅沢な悩みかもしれないけど。

友達の数、両手で足りてしまうことが悲しくて、

何でこんな自分になっちゃったんだろうなーと過去を後悔してばかりです。



ここ数日息が苦しいです。

気が付くと胸が苦しくて呼吸が上手に出来なくて

酸素がうまく脳にまわってないのか首から頭にかけてが重く

ズーンとした頭痛があります。


初めて過呼吸になってから気が付けばもう2年も経つんだなぁ。


未だにこの症状に定期的に悩まされていることには

恐怖感と絶望感があります。

普通に生きていたいだけなのに、何故こんな厄介な症状に年中悩まされなきゃいけないのか。

赤ん坊だって無意識に呼吸をしているのいうのに。

一体いつになったら完治できるのだろうか。

一緒この症状に苦しみ続けるのだろうか?


考えれば考えるほど息苦しく、気をそらしたくても呼吸にしか意識が行かない

悪循環に陥ってしまいます。


でも、子供を産んで過呼吸が再発してから7ヶ月、

自分でも良く頑張ったなって思います。

授乳中で薬での治療が出来ないからひたすら耐えて耐えて、

ひどくなったら旦那から自律訓練法をしてもらったり。


母乳を卒業するまではあと少しの辛抱。

それまで頑張ろう。

息子が1歳になったら母乳を辞めて、薬で治療しよう。


それまでは何とか、走ったり歌ったり泣きながらでも自分で対処するように頑張る。

きっと大丈夫。

またちゃんと笑って楽に呼吸できる日が来るはず。

きっと大丈夫。


大丈夫大丈夫。

あれから・・・

ネットで色々な意見や経験談を読んだり、

旦那と話したり、少しづつ子育ての自信を取り戻しました。


ほとんど食べなかった離乳食は、今は何とか食べてくれるようになり

それでもこの月齢にしては量も少ないし全く食べない日もあるのだけれど

「今日はそういう日」と割り切ることが出来るようになりました。


お昼寝については、もう基本的に息子が寝ている時は

身体を離さず側に居ることにしました。

ここ3日程はおっぱいでの寝かしつけでは無く、ちょっと強引なのですが

息子を後ろから抱きしめる形で寝かしつけてます。


もちろん動きを封じられて泣き叫ぶのですが、

大体10分ほどで泣き声が「ぎゃ~~~!!」から「んな~~・・・」になって

眠り始めることが判明。

しばらくこのやり方にしようと決めました。

私は息子を抱きしめたまま一緒に眠ってしまいます。

温かいです。


最近知った、マザーテレサの名言
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思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

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私はいつも自分が失敗するイメージばかり思い描いていたし

「こうだったらどうしよう・・・」と怖いことばかり考えてました。

「虚しい」「辛い」「嫌だ」とマイナスな事ばかり。


その思考から直さないときっと幸せには成れないと思うので

もっともっと楽しいことを自然に考えられる人になりたい。