***** 答えは 自分の中に ある *****
クリスタルヒーリング・レイキアチューメント
LA LUZ は、スペイン語で 光 という意味です。
心の中のあたたかな光とつながってよりよい人生を歩いて行きましょう。
自宅介護、最後の日々とフラーレン水晶
母を自宅介護で看取ると決めたのは、奇しくもコロナ禍に突入したことがきっかけとなりました。コロナになっていなかったら、入院になっていたかもしれません。
脳梗塞で倒れた母の自宅介護をはじめて1年後、今度は肺がんの宣告を受けた母。
一生懸命また歩けるように、手が動かせるようにとリハビリがんばって来て指も少し動くようになり腕も少し動くようになり、喜んでいた矢先で本人もどれだけ落ち込んだでしょうか。
わかった時はステージ4で余命2週間から長くても3ヶ月と宣告されました。
緩和ケアの予約もしておいた方がいいですよ、と言われましたが、寂しがり屋の母なので自宅で最期までみとることを決めました。
ひと昔前でしたらとてもできなかったと思いますが、今は訪問看護が日に3回、ドクターも来てくださり、リハビリも自宅で受けられる。
姉も比較的近くに居て最後は交代で介護入ってもらえたので安心して介護することが出来ました。
夜中のトイレだけは付き添わないといけないので、毎晩2時まで起きていてトイレまでさせて、朝5時に起きて母のトイレからスタートという日々でした。
日に日に呼吸が苦しくなって行く母。なくなる1週間ほどまえからは呼吸が早い母。
母の手を握り足を温める。
1日中、ウトウトしては目をあけ息があがる母。
そんな日が続きました。
お母さん、子守歌うたおうか、というと酸素吸引器の中で小さな声で、歌って、という。
「ねんねんころりよ、おころりよ。坊やは良い子だねんねしな」
母の胸をトントンしながら歌う私。
酸素吸引器の中でくちびるが動いている。一緒に母は歌っている。
途中から歌詞がわからなくてハミングする。
「はぁ、苦しか」息もとぎれとぎれに歌いながら酸素吸引期の中でそういう母。
苦しいならうたわんでいいよ、私が歌うけん。というとうなずく母。
こんなに母の手を握り続けたことは今までないよね、というくらい、毎日手を握ってあげてた。
最後の日は、いきなり酸素が80になりあがらず、仕事先から引き返した。
甥っ子たちは間に合わなかったけど、親子水入らず姉兄と私とで母をおくることが出来た。
よく、人に自宅介護よくやったね、と言われるけど私は他に選択肢なかったかなーと思っている。
リハビリ頑張って、少し成果出てきて、これからって時にあっという間に介護生活終わってしまった感がある。
母には日々レイキとクリスタルのフラーレン水晶で調整していました。
不思議なことに、いつもは乱れている母のオーラが、亡くなる1週間前ぐらいから、とても綺麗でした。苦しがって息が浅いのに、なぜだろう、、と思ってましたが、人はなくなる前にオーラが整って肉体から離れる準備をする、と聞いて納得しました。
最後の最後まで私が作ったアメジストのフラーレン水晶を手に握ってくれていました。
それを見た時に、クリスタルが母を助けてくれたのだと感謝しました。
そして、私はずっと休止していたクリスタルヒーリングをまたやらなければと思いました。
自宅介護で1番検索したこと
母が2019年4月のまだまだ少し寒い朝倒れて救急搬送され、脳梗塞で左半身が思うように動かなくなりリハビリを経て、2020年の春 コロナ禍に突入。
面会出来なくなり、家屋調査が延期になりいつ退所できるか見えなくなりました。
毎日昼姉が洗濯物を取りに行き、夜仕事帰りに私がミネラル水を届けに行く日々。
介護士さんから、毎日家に帰りたいって泣いてらっしゃるんです、
と聞いて、どうするか検討を重ねて、対処するただ一つの方法
一度施設から母が出たらコロナ予防もありもう施設には戻れない。ぶっつけ本番で退所していただくしかないです。
と言われて決断しました。
高齢の母の残された時間を考えたらやりたいようにやらせてあげようと。
自宅介護のケアマネさんを紹介してもらい導線考えてもらい、介護ベッド、ポータブルトイレを運び込みました。
ここで問題なのがポータブルトイレの場所
ベッドの横に良くないですか?と言われても立ち上がる時の手すりがありません。
施設は、昼間は車椅子ごと入れる広いトイレがありますが自宅トイレは、無理。
部屋に設置するしかありません。
そこでポータブルトイレの手すり設置検索めちゃくちゃしましたが良い事例が何一つヒットせず。
疲れ果てた時に、部屋の隅をトイレにスペースに早変わりさせるアイディアを思いついたのです。🙌
それがこれ!いろいろお世話になってる田島興産さんに相談。
カーテンで、お店の試着室みたいな仕切りをつけたい。
柱に施設のトイレみたいに手すりを設置したい
それが出来ますか?と。
出来ますよ!といろいろ相談しながら出来た室内トイレがこれ!
カーテンでトイレしてる時は見えないように仕切り
トイレ横の柱に手すりを設置。これでそばまで車椅子で移動して手すりにつかまり立ち上がる事が可能。転倒リスクがへりました。
カーテンをトイレ囲うように設置
トイレ下にはさっさと拭けるようにビニールシートを設置しました。
どんなに年齢を重ねて高齢者と言っても女性です。ベッド横のポータブルトイレにするのは抵抗がありましたから、ベッドから車椅子に乗りトイレ移動する
というリハビリにもなりました。☺️
自宅介護される方の参考になればと思い記しておきます。
2024年を迎えて 初心に還る年
ブログをストップして随分なります。
母の介護に2019年突入し、残りの時間が限られている介護ならば、
今はそれを集中して受け止めてやって行こうと腹をくくり2022年まで介護中心の日々を送っていました。
その中で、純平との時間、仕事の時間、周りの方たちの協力を得ながら送ることが出来ました。
ほんとに感謝しかない3年間でした。ちょうどコロナ禍ど真ん中でしたがそのおかげでリモートが当たり前になったので私の仕事は逆に自宅で出来て助かったり、、。
物事マイナスのようでその中にもプラスに転じることもある、と実体験いたしました。
自宅介護していて、感じたことや、2024年を迎えてこれからやって行くこともぼちぼちとまた忘備録としてアップしていこうと思います。☺
いろんな経験したこの数年でしたが、2024年今思うことは、原点回帰です。
「自分」とは何ぞや。
そんなことのきっかけにもなった「シンギングボウルとニードラ」の特別クラス。
私は再びシンギングボウル担当で月1に入ることになりました。☺
シンギングボウルも、自分の心の状態がそのまま音に反映されるため自分が不安定な時は人に鳴らしてはいけないと学んでいるので本当に久しぶりの復活です。
1月のクラスでは、足元から体がびりびりと感じた方、どこにいるのかわからない不思議な感覚を体感した方、
本当に音によるメンテナンスをしっかり受け取っていらっしゃいました。
思い思いのリラックスできる体制でニードラの誘導からシンギングボウルでマックスリラックスへ。
混迷している世の中ですが、
一番大切なのは自分が自分でしっかりと居ること。何があろうともブレないこと。
一呼吸、その呼吸が体の中をめぐっていますか?
グラウディングできていますか?
今日という1日1日を大切に丁寧に生きること。
大切なものはいつも、目の前にある。
大雪の翌日、お庭に出て雪の上をゴロゴロ楽しんだ純平。しっぽが広がってる!笑
雪を堪能していました。☺