Nature Pawer 自然の癒しと愛犬ジュンと。

Nature Pawer 自然の癒しと愛犬ジュンと。

自然や天体や動物たちは私の最大の師匠です。レイキマスター、クリスタルヒーリング、ブレスレットの制作。とあるご縁から2018年11月より九星氣学のお勉強をスタートしました。2019年拠点を移転とともにゼリツィン®エリクサーセラピーもスタートしました。

   *****  答えは 自分の中に ある   *****
クリスタルヒーリング・レイキアチューメント
LA LUZ は、スペイン語で 光 という意味です。
心の中のあたたかな光とつながってよりよい人生を歩いて行きましょう。

ジュンちゃんが亡くなりました。。という電話をもらった時、もう足音を聞いて覚悟していたから、ありがとうございます。と伝えました。

ジュンが入院したのは、土曜日の朝で、日曜日病院はお休みと言われました。
先生も日曜日は手術があるので、夜中2時くらいまでしか居られないと。
もしそのあと、朝までに何かあっても対応はできないけれど、今連れて帰ってもおそらく厳しいと。。
日曜日朝、手術のため出張行くと言われたので、その前に純を連れて帰ります。何時に行けばいいですか?
と無謀なお願いに、快く応じてくだり、朝8時30分くらいまでなら、対応できますと言われ、

「わかりました。今日、酸素準備して明日朝、容態がどうであれジュンを連れて帰ります」と私
「改善しているのであれば、そのまま回復まで置いていただいた方がいいです」と言われ、、そうですね、、
回復していることを念じながら朝元気になっていることを祈りながら、
どちらにせよ、朝行きますと約束してもらっていたのですが、

ジュンは先生が自宅に戻る1時間前に先生が処置してくださる時間帯になくなったので、、そのまま夜中お電話をくださったんです。
 

今からお迎えに来てくださって大丈夫ですよ

 

先生がそういってくださいました。

 

その間にエンジェルケアをさせていただきますので、、と。

 

雨の中、夜中車を病院まで走らせました。純平はまだ暖かく、眠っているかのようでした。。😿

ジュン、かわいいね。おうちに帰ろうね そういって病院を後にしました。

ジュンをいつものジュンのベットに寝かせて、
「おやすみ、ジュンジュン、また明日ね」と最後のおやすみのあいさつをしました。

翌日、日曜日、純の火葬をお寺に予約。
ジュンの火葬の時間、うそみたいに空が晴れ渡りました。
ジュンと最後のドライブ。

私の車の後部座席の窓は、ドライブ好きなジュンがしっぽふりふりお外を眺めた数だけの鼻の跡があります。
今も拭けずにそのまま跡が残っています。

ジュンちゃんをうちの子に迎えてから私が決めていたこと。


自分が土日、週末ヒーラーとして活動する、と決めていたことは、純を優先してジュンとの時間を増やすためしばらくお休みしよう、、ということ。やらないわけではないけれど、メインはジュンに。。と。
自分が動きたいことは、純がお空へ還ってからでも出来る。

そう思ってた時に、友人にヒーリングをしばらくやめる、って言った時、
「犬をヒーリングしてるじゃん」って言ってくれた言葉に、あそうか、、って思ったのでした。

あれから15年。ヒーリングしてもらっていたのは、純ではなく、
ジュンの存在に私がヒーリングしてもらっていたのだと思います。


純といろんな経験してきた丸15年、私の宝物です。
もっとボケちゃった!っていうジュンも介護したかったなー。😿

 

 

佐賀シェルターに来た日のジュンと、お散歩に行くジュン。保護されて3ヶ月目くらい。足が長くて、子犬なのに大きい子。老犬ですか?って言われてた子犬のジュン。

 

 


うちの事務所にお預かり開始した頃のジュン(右)左は元気。笑顔が消えていました。


うちの子になって、一緒にいろんなところへ行ったね。これは大分のラモリクラブのレッスン合宿の時。走って来るジュン。

写真家ホタパパさんに撮影していただいたジュン。笑顔☺

 


 

ジュンと母ちゃん(私)の影。ジュンの顔とクルクルの毛の影がかわいくて撮影

 

ジュン、うちの子になってくれて母ちゃんのところへ来てくれて、
本当に、ありがとう。ずーーっと、大好きだよ。


 

純平を病院へ連れて行く日の朝、夜中に何度かもうダメかもという瞬間を克服し、純平と朝日を見ることが出来ました。ずっと靈氣をしていました。

8時30分の予約開始で、アプリから登録を入れて、順番関係なく、病院へ向かうことにしました。
夜中の純平は、シュガーレディのお肉を何度か分けながら、食べる、とキッチンへ行きました。そのたびにおいしいお肉を2,3口食べて、水素茶の黒豆水素茶を美味しそうに飲んでくれました。この時普通のお水はもう要らないと飲まなかったのですが、黒豆水素茶はしっかり飲んでくれました。

朝、お肉も最初は食べないと顔をそむけたのですが、夜中からずっと相談していたジュンのトリマーさんから、お薬だけは飲ませて行って、と言われていたので、お肉にお薬包んでいたので、「ジュンちゃん、お願い。一口だけ食べて」って言うと、ジュンは言葉がわかったかのように1口だけがんばって食べました。
玄関まで歩けたジュンは、玄関の段差で立ち止まりました。
ジュン、抱っこしようか?って声をかけると、純平は、考えて、一人でボク歩けるよ、と言わんばかりに、ピョンと玄関へ下りました。
その時のポンチョを着て歩くジュンの後ろ姿がずっと目に焼き付いています。純平が生きて我が家を出た最後の後ろ姿です。そのまま車には抱えて乗せて病院まで行きました。
着いて受付に私が走り、「昨晩から様子がおかしいんです。息も荒いし食欲もなくなっています」と告げると順番繰り上げて診察してくださいました。
診察室で純平はもう立ち上がれなかった。。ジュンを見た先生は速攻酸素室へジュンを連れて行かれました。

さっきまで歩いてたのに、、でも、、きっと大丈夫だよね、、ジュン。。
突然の展開に頭がついていかない感じでした。

14時から午後の診察が始まるので、その時まで酸素室で様子見ましょう、と言われて、一旦私は戻ることに。
12月も同じ状態だったけど、ジュンは復活した。こんな急にどうこうなるわけがない、、そう思いながら。
ただ、昨晩のジュンからのお別れがあったので、覚悟もしていました。。

14時、病院へ行ったときには、肺炎が酷くなっていること、そして酸素が50まであげていること。今は窓をあけて手を入れることすら命に係わるかもしれないことを告げられました。撫でてあげられない、、。外からジュンちゃんと呼ぶとジュンが気づいて立ち上がろうとします。お迎えに来たと思ってしまう。。
無駄な体力を使わせたくなくて、またあとで来るから、伏せだよ、ジュン。と話しかけて、診察室で話を聞きました。

連れて帰るにしても酸素室をレンタルしなければいけないこと。ただ酸素室のクオリティは病院ほどはないということ。急変する可能性もあること。治療で復活する可能性もある。

どちらにせよ、まず酸素室をレンタルしないと翌日朝はお店はお休みだろうから先にレンタルショップに行くことに。
そこで、話をしていたら、酸素40まで出ますと言われたから、今病院で50なんです、、と言ったら、「そんなに危険な状態なんですか?」って言われて、やっぱり危険だよね、、って現実を突きつけられた気がしました。。
いろいろ話していたら、、もしかして、ワンチャンのお名前は何ですか?って聞かれて、答えると、武雄のドックラン行かれてせんでしたか?って。行ってましたよ、って言うと。やっぱり!ってその方もワンチャンを飼っていて、武雄でお会いしていた方でした。ジュンがかわいかったからお写真撮ってる持ってるって。
「こんな再会は嫌だな」って言われて、私も涙が出てしまいました。。

酸素50で酸素室からは普通出されませんよ、って言われて、「いえ、明日の朝、危険ならもうおうちに連れて帰ります」って私がお願いしたんです、って。ほんとは今日の夜もここに泊まれませんか?って先生に聞いたら、それは、、ってもちろん断られたので、明日の朝一番早い時間に行きます、ってお願いしたんです。って答えました。
スタッフの方はそうなんですね、ってわかってくださって、病院の酸素室から出して車に乗せる間に亡くなったというお話も聞くので、家に着くまで、酸素缶を口でシュッシュってしてあげてください、って教えてもらいました。

酸素ルームを借りて、酸素缶を買って祈るような気持ちで私は再度病院へジュンの面会に行きました。
少し落ち着いています、と言われてジュンの顔を見て、「明日の朝お迎えに来るからね。ジュンちゃんがんばって」そう話しかけて自宅へ戻りました。

酸素ルームの準備をしながら祈りながら、お部屋もお掃除していた時でした。。

パタパタパタ、、キッチンで純平の足音が聞こえました。

ジュン? いや、純平は病院だった、、。

そう思った時、純平、、状態悪いのだろうか、、と不安がよぎりました。
祈るしかできなかったですが、ジュンちゃん、大丈夫。明日朝お迎えに行くからね。そう祈りました。。
その数十分後、夜中1時17分 携帯電話が鳴ったんです。。
 


倒れるちょっと前から、亡くなる前まで、気が付くとジュンは

いつもこうやって私をじーっと見つめていました。

ジュンちゃん、どうした?
私はいつもジュンにそう話しかけて笑いかけていました。
自分があまり長く一緒に居れないことをわかっていたのでしょうね。

愛犬純平が、2015年2月15日1時13分頃、虹の橋を渡りました。
15歳11か月でした。16歳のお誕生日に一緒にジュンの大好きなケーキ食べようって思ってたけれど、叶わなかった。

 

ジュンちゃんの記録としてここに記しておこうと思います。

昨年15歳のお誕生日越えたころから、足腰が少し弱って来たなぁ、、って思っていました。歳なりなのだろうと。

いつもなら車の音で玄関までお迎えに出てきていたジュンが、ベットから起きなくなりました。

トレーナーに久々に通い、シニアケアでマッサージをしてもらい、またお迎えしてくれるように復活。

 

5月 量子力学のプログラムと出会い、転写してもらった服や首輪をつけて、足腰が少しだけ回復しました。

8月 また別の宇宙とコンタクトとり環境整える水、シールをいただき、部屋の電磁波対策などもやりました。

 

純平の脇に出来た脂肪種がちょっとずつ大きくなり、病院で見てもらいましたが、良性だから年齢的にも手術するよりそのまま出の方が負担が少ないよ、と言われました。胸にもぷよぷよの脂肪種があり、こちらは夏から飲ませ始めた天然水素水のおかげだと思いますが、きれいに消滅しました。


時は少しずつ、穏やかに、、私とジュンを包んで流れて行く。。

 

少しずつ反応が鈍くなって来て、お目目が白く濁って来て、、

いつの間にか吠えなくなって、雷も怖がらなくなってきた。

少しずつ、いつか来るお別れのことも脳裏をよぎるようになっていました。

相変わらず、家の中を私が移動するたびに、一緒に移動して、そばで眠るジュン。

気が付くとじ――っと私を見つめているジュン。

そんなジュンが倒れたのが、12月頭。

 

家の中でベットから立ち上がって歩きながらフラフラとなり、バタンと倒れてしまったのです。

その夜は息が苦しそうで、、私はレイキを夜中ずっと行いました。

不思議なことに観察に貼って上げたシールのあたりから緑色の光が大きく広がり純平の胸あたりを移動しはじめました。

なんだろうと思い手を外すと光が消えます。どうやら私のレイキの光が純平を癒してくれているようでした。

肺から胸あたりだ、、そう感じていました。

 

翌朝はいつものように復活してごはんもしっかり食べれた純平、

その日のウンチさせに外に出て、すぐ近くの氏神様の前で、来年私が最優先すべきことが明確になりますように、、とお祈りしている最中にまた足元で純平が突然倒れて痙攣をおこし呼吸困難に。。


そのままジュンを抱きかかえて自宅へ向かいました。少ししたら落ち着いて歩けるようになったジュンですが、そのまま病院へ連れて行くことにしました。

が、また病院でも倒れてしまいました。。

 

心臓かもしれないと、先生が心臓専門医を紹介してくださり、そのまま病院を移動。

そこで検査の結果、酷い肺炎と軽い心臓弁膜閉鎖症であることを告げられました。

心臓はまだそこまで酷い状態ではなく年齢なりの病気であること、

肺炎の方が深刻で酸素が半分以下しか吸えておらず、酸欠になったのだろうと。

また、、肺。。母の最期を思い出し、純平まで同じような苦しみの中なのだろうか、、と切なくなりました。

 

そのまま3日間入院。回復して元気になり退院出来ましたが、お薬りの日々が始まりました。

ここ数年は、シュガーレディのささみをお願いしていたから、質のいいお肉とフードを完食するくらいに食欲が出ていました。食欲があるうちは大丈夫ですよ、と言っていただきました。

 

令和8年のお正月はゆっくりとジュンと過ごすことが出来ました。

 

2月に入るまでは穏やかな日々を一緒に過ごしました。

 

ただ、12月以来、息が少し荒く、まただんだんと階段を上り下りが辛そうでした。食欲があれば問題ない、と言われていましたがその食欲も少しずつなくなって行きました。


そして、2月12日に再び病院へ連れて行き、新たなお薬で様子見と言われたのですが、よくなる傾向はみられず、、
13日、ジュンがごはんを食べないと、帰宅した時に姉から聞きました。

 

呼吸数をみると明らかに昼私が仕事に出る前より早くなっています。時間はもう17時すぎ。。何かあったら電話ください、と言われていましたが、時間外の病院は誰も電話にはもちろん出ることはなく、、翌朝まで寝ないで純平と一緒に私は寝袋に変えて過ごすことにしました。寝袋意外とあったかいよ、ってジュンに話しかけながら。

14日に入ったころ、横に寝ているのも辛そうな中、ジュンが横になる場所に私も寄り添ってレイキをずっと送り続けていました。スッとジュンがまた立ち上がろうとするので、おしりを一緒にあげてあげるの繰り返し。

その夜は、立ち上がって動くのはただただ息が苦しいから。それまでは横になり寝ながら息が苦しそうだったのですが、

病院で息が本当に苦しくなったら、横になるのが苦しくて、立ったままが楽になる、と聞いていたので、明らかにこれはそうだと思いました。


何度もジュンのあとをついて寝ては立ち上がるジュンを手伝いながら、、の中で立ち上がり、私の前に純平がよろよろと歩いてきました。

満面の笑みで私の前に立ちじーーっと私を見つめ続ける純平。

そのお顔は少しボケが入ってからのお顔と違い、いつものジュンのお顔でした。しっかりと意志をもったお顔。

その瞳が愛にあふれていて、、「母ちゃん、母ちゃん」って声にならない声が聞こえました。その「母ちゃん」の中に愛をたくさん私は感じ取りました。「母ちゃん、いっぱいいっぱい楽しかったね。大丈夫」って。。その感情が入って来ました。
涙が止まらなくなりました。あぁお別れが近いんだな、、と。

 

「ジュンちゃん、今日もかわいいねぇ。ジュンちゃん、大好きだよ。うちの子になってくれてありがとう。もうすぐ16歳のお誕生日だよ。一緒にケーキ食べよう。また桜の花も見に行かなきゃね。ジュン、かわいいね。」っていっぱい撫でて話しかけました。

ジュンは嬉しそうに私の言葉を聞いていまいた。

 

ジュンを自分に引き寄せて、脂肪種が下にならないように向きを整えて抱きしめました。何度かもうダメかもと思う状況を乗り越え朝を迎えることが出来ました。

もう朝ごはんもお水も入らない状態で、、かろうじて、最高においしい鶏肉にお薬を巻いて、一口だけ食べてくれました。

病院に予約を入れて、病院へ連れて行くと、そのまま酸素室へ入ることになりました。

酸素がほとんど吸えてない状態になっていて、、今出したら、そのままになる可能性も高いことを聞きました。

復活したら、検査しましょう、と。お昼くらいまで様子見で。

14時にまた診療開始とのこと、私は一旦戻り、また14時に面会へ行くことにしました。

 

気温差が危ないからとトリマーさんがジュンにプレゼントしてくれたポンチョ。お外に出る時はこれを常につけてから出るようにしていました。ブルーがとっても似合ってる。