愚痴はウンコみたいなときがある【愚痴をどう聞き流したらいいか分からないあなたへ】 | 青いそらにつき -気づき、遊び、表現、還る。

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ふと思ったこと・考えたことを書いてます。日本滞在中、参加型ワークショップを開催して世界を拡げるお手伝いをしたり、
インテグレート・ヒーリング(通称IH)キネシオロジーとフィボナッチ(アキュトニクス)音叉を軸にした自己啓発型のヒーリングをしています。

 

わたしのセッションに来てくださる方は
真面目さんが多く、
人の話は聞かなければならない、とか
人に貢献したい、という思いをお持ちの方も多いです。

そうなると出てくるのが「愚痴を聞く」に関して。

真面目さんだから、つい聞いちゃうのね。
しかも、お友達とかだと余計に。

本当は聞きたくないのだけど

「聞いてあげないといけない」
「大変そうだし」
「辛そうだから」
「スッキリさせてあげたい」

と思って、聞きたくないけど聞いてしまう。

あの、人を思いやる気持ちや優しさってね、
いいことでもあると思うけど、
同時に、自分を傷つけることになりかねないと思う。

だってね、聞きたくない愚痴を聞くことで、

「他人に」優しくしてるつもりでも、
「自分には」優しくないもの。

本当の自分は、聞きたくない、
聞いたら居心地が悪いのに、聞いてる…
ということは、
自分を傷つけてることにもなるなぁと。

あのね。

愚痴の利点は、
・コミュニケーションをとる
・自分の弱さを出す(自分を出す、という表現)
・相手への信頼を示す
などがあるのですが、

でもさ、正直なところ、

愚痴は排泄物みたいなところもあると思うんですよ。
「出したらそれでスッキリ♪」
という感じなところがあると思うの。
そう、うんこみたい。

消化吸収されなくて、不要なものが出た、ということで。

そんな訳で、うんこ表現で続けていくと;
「他人のうんこ(愚痴)は、あなたが処分しなくていい」
ということなんですよ。

だから、聞かなくていいの。

「聞き流し方が分かりません」
「受け止めて流したらいいの?」
と言われる方もおられますが、
あの、そもそものところで、
聴かなくていい、受け(止め)ないでいいのですよ〜

本当はね、
「今は(あなたの愚痴を)聴ける余裕が自分にないから聴けないの」
と伝えられたらいいかな、と思うのですが、

とはいえ、突然、そのステップを踏むのも難しい場合もあると思う。
そういうときね、その場に居合わせる、ということをするのね。
音(愚痴)がきこえる場に「ただそこに居てるだけ」という状態に、自分を置く。

愚痴を「愚痴(言葉)」とするのでなく、
「音」にするの。「雑音」に。
BGMと表現したら分かりやすいかな。
音として聞こえてるんだけど、聴いてない、という。

そうすることで、
聴かないということに慣れてゆき、
そのうち
「あれ?なんで私はこんなことまでして、
 自分がしたくないことをしてるんだろう」と
気がつくとおもいます。

愚痴を言う・聴くということは、
コミュニケーションを取ることでもあり、
言う側は、相手への信頼を示す(自分の弱さをさらけ出す)ことであり
聴く側は、相手の弱さを知れたりもできて、
お互いにより親密になれる利点もあるので、
愚痴もよいところがあるのですが。

でも、もし、聞きたくないのであれば。

聴かない。

「人の愚痴を聴かなければならない」ということはないのですから。

「愚痴はウンコみたいなときがある」を合言葉(?)に
他人のウンコ処理はしなくていい、と思い出してくださいね。

人に優しくする(優しくしてるつもり)もいいけど、
自分に優しくあって欲しいなぁと思います。