セッションの中では様々な話を共有していくのですが

あるお話になると感情が揺れ動き
涙が溢れてきたりすることがあるのは
とても多いことだったりします。
中には今まで思い出すこともなかったようなことになぜかふと記憶が繋がり
それが今に呼び寄せられ
あたかも今それを味わっているようなことが起こったりするのです。
こういう時、時間軸の不思議を感じます。
どんなに時間が経っても、その時の思いはそのままそこに在るのです。
 
人は誰しも、その時にそのまま感じることはあまりにも大きすぎて
無意識のうちに瞬間冷凍のように封印している思いも少なからずあるのだと思います。
よく、時が解決してくれると言いますが
それは抱えるには大きすぎるそれが
ちょうど抱えられる(表現になる)ような在りように
いつしか自分自身が変化しているということなのではないでしょうか。
思い自体は時間の流れにかかわらず
変わらず在るのだということを感じています。
 
ただ、表現でも
事実の羅列を語っていくような時は
まるで感情の蓋が閉まったまま
何度も何度も繰り返し語り続けたりするものです。
事実と思いは別で
その事実の中で自分が本当はどう感じたのか、何を思ったのか。
感じることや思うことを表現することには流れがあり、その流れが変容なのだと思うのです。
 
実際にワークを始めると
まるでその時が再現されるような
再現というより、まさに今なのだという体感を味わうことが常です。
不思議ですが
表情や口調、振る舞いが自然にその時のその人の感じになったり
今の自分の思考もあるのに、同時に
それとはまた違ったどこかから湧いてくるような感情が込み上げ
涙が溢れてきたりすることもとても多かったりします。
それらの全てが癒しの過程であり
自分の意思を超えたところで起こる委ねの中にあるということなのでしょう。
 
その過程を経ることで
何かが無かったことになることも
事実が変わることもありません。
でも同時に、丸ごと何かが変わったような不思議もあったりするのです。
人は変わりたいと思いながら
どこかで変えたくない(無かったことにしたくない)という矛盾のようなものも
同時にもち合わせているようなところがあるのではと思うのですが
そのどちらもが成り立つような境地があることを実感します。
そしてその感覚は
根拠はないしそれが何かは分からないけれど
どこか本来の自分に還ったような安心感に繋がっていたりするような気がするのです。