この出来事や症状は、

今の自分に何を気づかせようとしてくれているのだろうと、

そっと問いかけてみる視点の大切さを、改めて感じているんですよね...


不思議なことに、その問いそのものが入口になって、

内側へと意識が自然に向かっていくのです。


そこから内観に入ると、

最初はただの違和感や痛みのように感じていたものが、

少しずつ言葉を持ちはじめ、

まるで何かが饒舌に語り出すように、気づきへと導いてくれることがあります。

それは頭で理解するというよりも、感覚の層がゆっくりと開いていくような体験です。


自分でも意識していなかった思い込みや、

ずっと奥にしまわれていた感情が、静かに姿を現してくることも。


そして、その気づきに気づいていく頃には、

最初に抱えていた出来事の捉え方そのものが、すでに変わっていたりするのです。

 

 

 

 

 


以前は重たく感じていたものが、別の意味を帯びて見えてきたり、

身体の症状が自然と緩和していったり、ときには消えていくように感じられたり...


そこには「直そうとする力」よりも、

「理解が深まることでほどけていくプロセス」が働いているように思います。


人生は、何かを無理に管理しコントロールしていくものというよりも、

日々の出来事を通して、幾重にも気づきの可能性を選び取りながら進んでいくものなのかもしれません。

 

 

 

 

 

今日は満月。

蠍座の満月で、フラワームーンと呼ばれる満月なのだそうです。

新居浜では、21時を過ぎる頃に山際が明るくなり、

そこから月がゆっくりと姿を見せてくれました。

 

 

 

 

 

蠍座の満月は、深い感情や執着を手放し、

変容を促すタイミングとも言われています。

 

もし今、何か浮かび上がってくるものがあるとしたら、

満月を眺めるように、ただ眺め、

通り過ぎていくのを感じてみるだけでも、

その後どこか、すっきりと軽やかな爽快感がもたらされるかもしれません。

 

またもし、浮かび上がってきたものがそのまま揺蕩っているようだったら、

そこには何か、気づいてほしいメッセージがそこにあるのかもしれません。

 

少し立ち止まり、その声に耳を傾けてみる...

 

そんな醍醐味を味わうのも、いいかもしれませんね。

 

 

 

 

 

人は、大切なものを守ろうとするとき、
何が本当に合っているのかを、精一杯模索します。

 

時には、一度にたくさんのことに向き合いながら、
その都度、最善を考え続けることは、決して簡単なことではありません。
その上で、自分自身の気持ちの揺れも引き受けながら...
 

けれどそれは、どこか研ぎ澄まされていくような、

在り方そのものが、すでに深い営みの中にあることを物語っているような気がしてなりません。

そして、その深い営みの中では、

迷い、逡巡することすらも、尊いもののように感じます。


何かを選ぶことも、あえて選ばないでいることも、
どちらも最善であり、意味のあること...
 

全ては魂の壮大な流れの中にある、ひとつのプロセスなのかもしれません。

 

 

 


 

 

迷ったり、考え抜いたり.....
人事を尽くしながら、自然と開けていくほうへ。

迷うときには、愛を感じられるほうへ。
温かさや、広がりや、ほっとする感覚のあるほうへ。
 

自然に、そう選んでいたりするんですよね...
 

すべては、愛の中で起こっている

一瞬一瞬のかけがえのない今、このときなのですね。