僕の、小さくて凄く大きな夢~第10話 父とトーナメント~その3 | その名も「マリオ」

その名も「マリオ」

BlackMariaのお手伝いさんです

親父のバス釣りプータロー生活の始まりは、事故による加療生活から始まった。

 

治療の合間にスロットを打ち、調子の良い時はプラクティスという名のバス釣り。

 

母は自分が仕事を持っていたこともあり、冷めた目で静観していたけど。

 

祖父や祖母、叔母も取り敢えず静観。

 

親父一人だけが、プータロー生活を満喫。

 

ただ、腰の調子が悪い時は脂汗がにじみ出てきて辛そうだったらしい。

 

で、肝心のバスプロ生活の方はというと・・・・

 

バスは釣るけど、ただの人。

 

成績は追いつかず、お金だけが飛んでいく感じだったと言っていた。

 

結局、翌年にはプロ登録を諦め、仕事をすることにしたらしいが。

 

そこからも紆余曲折、波乱万丈な生活だったらしい。

 

親父の成績が少しづつ出始めたのは、選手生活も晩年に差し掛かる頃からだった。

 

そう、僕がトーナメントを意識し始める頃からだ。

 

親父は最後の勝負だし・・・とボートを一新。

 

とは言え、中古の掘り出し物。

魚探はガラパゴスだが、ボート自体の性能は抜群。

 

でも、貧乏なのは相変わらず。

 

たった2セットのタックルに10個程度のルアーだけで望んだマリーナの大会。

 

最終戦で4位入賞、クラシックへの切符を手に入れる。

 

そのひと月後にも同様のプランで4位入賞。

 

2戦連続でのお立ち台に上がることになった。

 

利根川、テトラ帯での巻きシャッド。

 

親父の数少ない得意なパターンでの入賞だった。

 

しかし、親父の悲劇はまだ終わらない。

 

この後に大病を2度も患い、うち1回は1ヶ月半も入院するハメになっている。

 

貧乏は常について回っているものの、

 

トーナメント生活が安定してくるのはその後に出会ったある人との出会いからだった。

 

 

 

 

                つづく

 

 

 

注)実際にある地名・名称以外は全てフィクションです。

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