娘が2歳のころ母が脳こうそくになり
そこから母を16年ばかり生活介助をしていて
何回も煮詰まるときがありました

毎日居すぎて、失語症の
母の話がわからなくて、
いらっとして言い合いを何度もしました

(居すぎても、内容がよくわからなくなっていました、私がいらいらしていたのかなー)


母の日課の中には、喫茶店へ行く
というのがありました

いきつけの喫茶店では、
いろんなおばさま達がいました

その中に、看護師を経験されていた
おばさまがいらっしゃいました

そのおばさまは、母のことをいつも気にかけてくださっていました

ある日のこと、そのおばさまは
私を諭すようにいいました

「お母さんの言葉がうまくでなくても、
うらんだらあかんよ、病気が悪いんやからな」

ということ

私の中で何かが、サラサラサラーと
流れ落ちていきました

私は母に勝手なモヤモヤをぶつけていたのかもしれません

言葉を失い、失望しているのは
母の方なのに…


親はいつまでも親であってほしいんですよね
でも、人間ですから、ほんとは、
弱いんですよね

私は、母から母の生きる姿を
見せてもらっています

年々できなくなることも増えました

私が一番ショックだったのは、
言葉がしゃべられないことよりも
自転車が乗れなくなったことよりも
白内障で見えにくくなってるよりも

コーヒーのミルクが、
プラスチックのポーションタイプになって
それが開けられなくなったことでした

それからは、
私がプチっと外して入れてあげるように
なりました



いまは、母ともめることは
ありません
母が語りたいのは、伝えたいことは
なんなのか、わかります


ただ、あの日
私にいってくださった、
おばさまには感謝しかありません


「お母さんの言葉がうまくでなくても、
うらんだらあかんよ、病気が悪いんやからな」


いきつけの喫茶店は、もうありませんが、
あのおばさまが、お元気でありますように
いつも願っています

おばさま、ありがとうございます✨
私は、今も母を支えることができていますお願い