京都にある「浄土宗大本山 くろ谷 金戒光明寺」からのレポート、2回目です。
今回のスタートは、前回に続き山門からです。
形式は、五間三戸・入母屋造・本瓦葺の巨大楼門です。
山門は境内南側の正面に位置し、御影堂(大殿)へ続く参道の起点となります。
1862年、会津藩が京都守護職本陣を置いた際、藩士や新選組が日常的に通った門としても知られています。
金戒光明寺の山門は通常非公開ですが、この日は、特別公開されていました。
楼上からは、京都市街を一望する開放的な景色が広がり、比叡山方面まで見渡すことができます。
金戒光明寺の山門は、京都の“和の象徴”として、ウエディングフォトのロケーションとして非常に人気があります。
京都のフォトスタジオやロケーション撮影業者の多くが、金戒光明寺を和装前撮りの主要ロケ地として紹介しています。
特に「和装前撮り(白無垢・色打掛)」との相性が抜群で、山門の構造そのものが“額縁”となり、新郎新婦を美しく引き立てます。
ここで、この門の軍事的意味合いについて触れておきたいと思います。
金戒光明寺の山門楼上からの景色は、単なる眺望ではなく“軍事拠点としての監視・防衛機能”を果たしていました。
楼上の景色が果たした軍事的意義は、“京都全域の監視が可能な高台”、“東海道の往来を見張れる位置”、“御所への迅速な対応を可能にする距離”、“会津藩1000名が駐屯した軍事拠点の中心”などがあります。
山門楼上の景色は、「京都の治安と政治の中心を守るための戦略的視界」として機能していたといえます。
山門をくぐってすぐ左手にある、「せいしまる(勢至丸)」の石像です。
勢至丸は法然上人(1133–1212)の幼名です。
法然が比叡山に入山する以前の少年期の姿を象った像で、金戒光明寺では宗祖の原点を象徴する存在として境内に安置されています。
金戒光明寺は法然が最初に草庵を結んだ地であり、勢至丸像はその「はじまり」を象徴する石像です。
重厚な木組みと大きな梵鐘が特徴的な堂々とした鐘楼です。
金戒光明寺は、応仁の乱で伽藍の大半が焼失しています。
その後、豊臣秀頼・徳川幕府の支援で再建(阿弥陀堂1605、三重塔1634、山門1860 など)され、鐘楼もこの再建期に整えられた伽藍の一部と推測できます。
江戸初期の再建を経て、 近代以降の補修を経て現在の姿という流れをたどっています。
こちらは、長安院(ちょうあんいん)の山門です。
長安院は、金戒光明寺の塔頭寺院の一つで、浄土宗に属し、本尊は阿弥陀如来とされています。
塔頭(たっちゅう)とは、大寺院の中にある小院・別院のことで、金戒光明寺には十数の塔頭が並びます。
通常は門が閉じられており非公開ですが、特別拝観の際には門が開くことがあるようです。
山門の奥には庫裏と思われる建物があり、こぢんまりとした塔頭らしい佇まいです。
境内にある茶屋の「戀西楼 快庵(れんさいろう かいあん)」です。
山門を上がって石段を登りきるとすぐ左手に見える建物で、参拝の前後に立ち寄りやすい場所にあります。
今回は、ここまでです。
次回は、手水舎、阿弥陀堂、御影堂などを紹介したいと思います。
では、また・・・。
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