京都にある南禅寺からのレポート最終回は、国宝の南禅寺方丈を紹介します。 | ラブドールのララの旅日記

ラブドールのララの旅日記

ラブドールのララとアイビー、エイミー、ナナ、エマ、レナの6人が、神社仏閣、名所旧跡、公園などへ訪問した時のことを紹介してくれるブログです。

 京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山の寺院、南禅寺(なんぜんじ)をレポートするシリーズの5回目で、最終回です。

 今回は、国宝に指定されている南禅寺方丈を紹介します。

 南禅寺の方丈は大方丈とその背後に接続した小方丈からなっています。

 前回の記事でも紹介したように、方丈の室内には、桃山前期の狩野派絵師筆による障壁画(重要文化財)で全て彩られています。

 室内は、撮影禁止ですが、方丈庭園を紹介するだけでも盛沢山です。

 大方丈庭園です。

 応仁の乱で焼失した南禅寺が以心崇伝(1569-1633)によって再興された際に作庭されました。

 小堀遠州作と伝えられています。

 昭和26年(1951)に国の名勝に指定され、通称「虎の児渡しの庭」として参拝に来られた方々にも親しまれています。

 小方丈庭園、昭和41年(1966年)植彌加藤造園設計施工です。

 小方丈の西側に作られた庭園で、別名「如心庭(にょしんてい)」といいます。

 その名の如く、心字形に庭石を配置した枯山水の石庭となっています。

 庭石の配置については、『心を表現せよ』と当時の南禅寺管長であられた柴山全慶(しばやまぜんけい)老師が自ら熱心に指導されたとのことです。

 六道庭(ろくどうてい)、昭和42年(1967年)植彌加藤造園設計施工です。

 「六道庭」は、六道輪廻(りんね)の戒めの庭になります。

 六道輪廻とは、天界、人間界、修羅の世界、畜生界、餓鬼界、地獄界の六つの世界を我々は生まれ変わり続けるという仏教の世界観をいいます。

 一面の杉苔の中に配石された景石は、煩悩に迷い、涅槃(ねはん)の境地に達することなく六道を輪廻する我々凡夫(ぼんぶ)のはかなさを連想させます。

 龍吟庭です。

 昭和59年(1984年) 植彌加藤造園設計施工です。

 龍吟庭では、三門の西にあった鞍馬石の巨石を大型クレーンで運び込んで景の主石とし、豢龍池(かんりゅういけ)の池畔には十津川石の景石を配石しています。

 茶室不識庵です。

 昭和29年(1954年)開基亀山法皇の650年遠忌の際、茶道宗徧(そうへん)流有宗匠から寄進されたものです。

 「不識」とは昔、達磨大師が梁の武帝と対面したとき「私の前にいるのは誰か」と問われ「不識(しらず)」と答えたことに由来するようです。

 自分を説明しようとしても言葉では真の自分を説明しつくすことはできず、自分から離れてしまいます。

 本当の自分とは何なのか知るためには、心を窮めていかなければならないということのようです。

 

 昭和59年(1984年)に新たに造られた「華厳庭(けごんてい)」です。

 「南禅寺垣」に囲まれています。

 南禅寺垣とは窮心亭の路地を囲んでいる竹垣を南禅寺垣と名づけられたものだそうです。華厳とは「花の飾り」を意味し「響き合う宇宙のこころ」という仏教の教えだそうです。

 こちらは、茶席窮心亭(きゅうしんてい)です。

 昭和43年(1968年)に宗徧流一派によって寄進されたものです。

 修学院離宮上の茶屋にある後水尾天皇ご命名の茶亭「窮邃亭(きゅうすいてい)」の趣を慕って、命名されたものです。

 こちらは、滝の間です。

 清涼の滝を眺めながら抹茶(有料)を味わうことができます。

 本坊の左手にある唐破風の大玄関です。

 この大玄関は特別な行事の時にのみ使用されます。大玄関左手には書院が配され、方丈へと続いています。

 この本坊は常住とも呼び衆僧生活の場であるとともに、臨済宗南禅寺派の宗務を取り扱う寺務所となっています。

 今回を持って、南禅寺シリーズは最終となります。

 まだまだ、伝え消きれていない建物などがありますが、御勘弁のほどを・・・。

 室町幕府第3代将軍足利義満によって京都五山の上という最高位に位置付けられている南禅寺だけに、歴史と風格を感じる寺院でした。

 それでは、また・・・。

 

 ランキングに参加しています。

 応援のポチッ頂けたら幸いです。

神社・お寺巡りランキング
神社・お寺巡りランキング

 

ドールランキング
ドールランキング