長野県善光寺の仁王門と仲見世をレポートします。 | ラブドールのララちゃんの旅日記

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 長野県善光寺を紹介するシリーズの続きです。

 前回は、大本願を紹介しました。

 その大本願を出て参道に出ると、正面には、仁王門が観えています。

 善光寺参りの入口となるのがこの仁王門です。

 仁王には仏敵からお寺を守る役割があります。

 仁王門は、1752年に建立されましたが、二度の火災に遭い、再建が繰り返されています。

 一度目は、1847年(弘化4年)の善光寺地震で倒壊・焼失しました。

 その後、1918年(大正4年)にも再建され、現在の仁王門は、この時再建されたものです。

 仁王門の両側には、巨大な仁王像が2体立ち並び、足元には多くの草履が奉納されています。

 高村光雲・米原雲海によって作られたこの仁王像は絶妙なバランスで製作されている為、支えを用いずその足で自立しています。

 仁王門を潜り、石畳の両脇に商店が並ぶ仲見世を通って山門に向かいます。

 この通りから本堂へ続く石畳はおよそ7,777枚あると言われ、善光寺の見どころの一つになっています。

 仲見世通り両脇の水路は、火災から守るため、明治に入り、各家の一間下屋に石積みの大きな水路を設け、いざという時にはそこに畳を差し入れ消火活動に用いれるようにしています。

 下水道の普及に伴い次第に姿を消しましたが、いまでも門前の一部の家々にはまだ水路が残されています。

 

 

 参道からちょっと外れて、「西之門 よしのや」さんを訪れてみました。

 「西之門 よしのや」は、江戸時代の寛永年間(1637年)創業の造り酒屋です。

 敷地内に井戸がありました。

 よしのやさんのご縁起は善光寺にも深い関わりがあります。

善光御本尊は、戦国の戦乱に巻き込まれ、戦国大名の手を転々としました。

 慶長3年(1598年)、豊臣秀吉によって、御本尊は信州善光寺に帰され、信州善光寺再興の時代がはじまります。

 京都より御本尊を運んだ大本願第百九世智慶上人に付き従った藤井藤右門昌兼は、善光寺に定住、寛永14年(1637年)、二代目昌長が酒造業を創業しました。

 因みに、酒造業を創業した二代目からの分家が「藤屋旅館」(現ザ フジヤ ゴホンジン)、そして三代目からの分家が、大丸の家系となる初代・藤屋名左衛門です。

 広大な敷地には直営売店・工場見学コース等の施設が設けられ、善光寺を訪れる参拝者の観光ルートにもなっています。

 

 試飲ブースに沢山のお酒が並んでいて、全部、試飲OKです。

 販売員さんが、個々の銘柄の特徴を教えてくれます。

 この心地よい営業トークを聞きながら、試飲することができます。

 よしのやさんでは、お味噌も製造・販売していて、美味しいお味噌汁をいただくこともできます。

 この後、まだ少し寄り道しながら本堂に向かいます。

 入口から本堂までの間も、ゆっくり紹介したいと思っているので、お付き合いのほど、ヨロシクお願いします。

 

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