2023年6月にS状結腸ガン発見。その時点でStage IV。

同年7月5日(水)にきらめき病院で腹腔鏡下大腸ガン切除手術。

 

術後は7月31日(月)から3週間に1回の通院でXELOX療法で抗がん剤治療をスタート。2024年7月撮影の造影剤CTで薬に耐性ができてしまったことが判明。

 

2024年8月7日(木)にきらめき病院で腹壁瘢痕ヘルニアの手術。

 

担当医と次の抗がん剤について話し合った結果、髪の毛が抜けないという理由で2024年9月9日(月)からロンサーフを使うことに。2週間に1回の通院でアバスチン点滴とロンサーフ服用を継続中。

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東京はこのところ梅雨入り前を思わせるどんよりとした天気が続いていました。

 

風薫る5月よ、もう少しゆっくり過ぎておくれ。

 

2025年5月21日(火)、久々の快晴。昨日まで肌寒かったのに、今日は突然30℃近い気温にびっくり。これじゃ、もう夏です。

 

右手の小指の爪の亀裂、1週間ぐらい前にリペアしてもらったのに、そのときのジェルがいつの間にか取れて、亀裂が大きくなっていました。それで急きょ14時にネイルへ。

 

15分ぐらいで終わり、その足で母のいる特養に向かいました。

 

いつものように母は私が来たことを喜んでくれましたが、今日はあんまり調子が良くないのかな。大好きなフルーツ・オ・レの飲みっぷりがいつもほどじゃない。明治のミルクチョコレートも食べたがるけど、お腹が痛い、背中が痛いと言いだして、「何とかして」と私に訴えます。

 

「座らせて」と母は言うけど、あまりにも身体が痩せていて私は怖くて起こしてあげられません。スタッフを呼んで対応をお願いしたけど、座ってもすぐ疲れて横になりたがるから、ということで、電動ベッドの背中を90度近くまで上げて座っているような姿勢にしまました。母はそれでは不満で、「座らせて」と何度も叫ぶように訴えていました。

 

お腹も張っているようで心配です。

 

だけど、具体的に何か手当てができるかと言えば、できません。お腹が痛い原因を調べる精密検査ができないからです。もはや大きい病院に検査に連れて行くことも、精密検査を受けることも、母には負担が大きすぎます。よしんばその精密検査で腹痛の原因がわかったところで、服薬で対処できる程度ならともかく、手術も無理です。

 

だから、ママ、何とかやり過ごしてね。気が別の方に向くとお腹や背中の痛みも忘れるから。

 

母は私にとって世界で一番大切な唯一無二の存在です。だから母にはなるべく長く生きて欲しい。

 

だけど、もし私が母と同じ状態になったら、1日も早く死にたいと思うはず。

 

寝たきりで寝返りも自力でできず、あちこち痛くて、食事も流動食しか取れず、排せつもスタッフの世話になり、1日のほとんどが居室で孤独に耐える日々。私は自分がそうなったら、早く死んだ方が幸せだと思うでしょう。

 

だから、もしかすると母に生きて欲しいと私が願うのは、娘である私の自己中な願いかもしれません。自分勝手な私。

 

母自身がどう思っているのか怖くて聞けません。

 

母を訪問するのは、母に会いたいからという気持ち半分、私が行ってあげないと母が寂しがっているだろうから、という義務感が半分です。

 

母と一緒にいたいけど、母があちこち痛いと訴え始めると、手の施しようが無いので、一緒にいるのが辛くなります。

 

思わず時計を見て、「あ、まだここに来てから30分しかたってない。まだ帰るには早すぎる」と思ったり。時計

 

ママ、本当にごめんね。ママと一緒にいたいんだよ。だけど苦しむママを見ているのは辛過ぎるんだ。私には背中やお腹をさすってあげることぐらいしかできないから。

 

Stage IVのガン患者の私は自分が長く生きることより、安らかに生きることを望んでいます。安らかに生きる道を選んで、結果的に寿命が短くなっても自分のことなら構いません。

 

だけど母のこととなると、母を失いたくない思いが溢れて、「ママ、逝かないでね」と願ってしまいます。自分勝手でごめんね。ママ。

 

ママは今みたいな状態で生きていて幸せなのかな。怖くて私はいつもそれを考えることから逃げています。

 

神様、人知が及ばぬところを良いようにおさめてください。

 

母が安らかでいられますように。