私は2023年7月5日(水)にきらめき病院で腹腔鏡下大腸ガン切除手術を受けました。
同年6月にS状結腸ガンが発見された時点でStage IVでした。
術後は3週間に1回の通院でXELOX療法で抗がん剤治療を続けていましたが、2024年7月撮影の造影剤CTで薬に耐性ができてしまったことが判明し、次の抗がん剤を担当医と模索中。
2024年夏時点で予後は2年と宣告されています。
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2024年8月7日(水)にきらめき病院で腹壁瘢痕ヘルニアの手術を受けました。
手術室で「ララさん、ララさん」と呼びかける複数の声が聞こえて、ちょっと意識が戻りましたが、まだ眼が開けられない状態。そのままストレッチャーで運ばれているのを感じました。
どうやら自分の病室に戻ってきたみたい。
そう思ったとたんに腹部を激痛が襲いました。
こんな痛みは生まれて初めてです。例えていうなら、江戸時代に辻斬りにあって道端に倒れ息絶えなんとしている人の痛みってこんな感じかも。もうめちゃくちゃ痛い
まだ眼が開けられないけど、「痛い、痛い、助けて」とできる限り大声で叫び続けました。
昨日採血してくれたリーダー格の看護師の声がそばで聞こえて、「今、痛み止めのお薬作ってるところだから、もう少し待ってくださいね。」
ララ心の声:「今痛み止めを作っているところ」だって?!!術後に痛み止めが必要なのはわかりきっているのに、どうして事前に作っておかないのよ!段取り悪すぎでしょ!
痛みで錯乱しながらも、あまりの段取りの悪さに怒り心頭。
かすれた声を振り絞って「痛い、痛い」と叫び続けていたら、やっと痛み止めが点滴で入ってきたみたい。遅いんだよ、まったく!
ララ:(眼が開かないままで)おしっこしたい。トイレ行きたい。
看護師:尿道カテーテル入れてるから安心しておしっこして大丈夫ですよ。
少しずつ痛みが弱まるのと一緒にまた眠りに落ちました。
目が覚めたら午後3時過ぎ。朝会った日勤の看護師さんが病室に来ました。
看護師:ずいぶん予定より手術が長引いたので、みんなで心配して待っていたんですよ。
ララ:そうですか。何時間ぐらい手術してたの?
看護師:4時間ぐらいかしら。
うーん、当初2、3時間と予想されていた手術だから、それはちょっと長いですね。
痛み止めを点滴で常に落としているせいか、いてもたってもいられないほどの痛みではなくなりました。
今日は終日食事無しでただただベッドでじっとして痛みに耐えているしかありません。
夜8時ごろ門松先生が病室に来てくれました。
門松先生:普通はお腹の中の裂けた傷は縫わずにメッシュをかぶせるのですが、今回10cmぐらい裂けていて、縫わずにメッシュをかぶせると、開いた傷から内蔵脂肪が出てきてヘルニアを再発しそうだったので、その傷を縫合しました。それでちょっと手術の時間が長くなりました。お腹の中で傷を縫った分だけ痛みが増しているはずです。
夜中もずっと痛くて、痛み止めの点滴が欠かせません。
この日の夜勤の看護師は、口を開けば人に突っかかろうとする感じの年配女性。
看護師:この手術は看護師の間ではあまり痛くない手術だとされていますけど。
ララ:それってちょっと違うんじゃないですか。どの先生も手術する前から「痛いですよ」って言ってましたよ。鼠径ヘルニアの手術とは違うんですよ。
看護師:それはわかっています。
痛みに苦しんでいる患者に対して「痛くない手術だ」と言い張るのは思いやりが無さすぎます。
今回の手術は感情的に嫌なことが重るなぁ。
良かった点は、全身麻酔後に喉が全然痛くないこと。
全身麻酔をすると自分で呼吸ができなくなるので、喉に呼吸器を差し込むそうで、術後にそれが原因で喉が痛くなることが多いと事前に言われ、昨夏の手術後は確かに数日喉が痛くて痰が絡んで大変でした。
あと、手術した日はずっと仰向けに寝せられていて、同じ姿勢でいるせいで昨夏の術後は腰が痛くて大変でしたが、今回はそのとき習得した知恵で、電動ベッドのリモコンで足を上げたり下げたりすることで腰の角度を時々変えて腰痛を回避できました。
痛み止めの点滴で痛みに耐えながらうとうとしているうちに夜が明けました。