私は2023年7月5日(水)にきらめき病院で腹腔鏡下大腸ガン切除手術を受けました。

同年6月にS状結腸ガンが発見された時点でStage IVでした。

 

術後はXELOX療法で抗がん剤治療を続けています。

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ガン治療のお話は少しお休みして、2024年5月25日から30日までいとこたちを訪ねる旅をしたお話を書いてきました。その時々の感情を忘れないうちに綴っておきたかったからです。

 

5月25日、東京から博多へ移動。夕方宿泊先のホテルオークラで消化器内科医の従弟と会い、治療について相談。

 

5月26日、夕方から従弟の家族と会って食事。

 

5月27日、博多から新山口まで新幹線で移動(約40分)。開業医に嫁いでいる従姉の招待で「古希庵」に宿泊。夕食は「古希庵」の個室で従姉と。

 

5月28日、従姉の運転で雨の秋吉台をドライブ。昼過ぎの新幹線で新大阪へ移動。大阪での宿泊は阪急インターナショナル。

 

5月29日、薬局を営む従妹とホテル内の「マルメゾン」でランチ。その後ホテル内の紅茶専門店「パルテール」でアフタヌーンティ。

 

5月30日、ホテル内の「美濃吉」で叔父とランチ。午後の新幹線で帰京。

 

訪ねるいとこや叔父がいてくれて、誰もが温かく迎えてくれました。その幸せをかみしめながらの旅でした。乙女のトキメキ

 

私の人生は本当に幸せだったと思います。クローバー

 

でも、髪の毛が抜けるイリノテカンという抗がん剤を使うかどうか、葛藤していることをどのいとこにも叔父にも話しましたが(全員医療従事者です)、誰も「髪を失うのは辛いかもしれないけど、それでもララには少しでも長く生きて欲しい。だからそのお薬を使ってちょうだい」と言ってくれませんでした。

 

消化器内科医の従弟に「もし奥さんが私と同じ状況だったら、どうする?」と聞いたら、「やっぱりイリノテカンを使って欲しいと言う」という答え。

 

そうですよね。家族を失いたくないという気持ちが何よりも先立つはず。

 

私だったら、いとこが私と同じ状態だったら、やっぱり「髪の毛が抜けるのは辛いよね。でもあなたに少しでも長く生きて欲しいの。だからそのお薬を使ってちょうだい」と泣きながら訴えたと思います。

 

私だったらそんなとき遠慮はありません。

 

髪の毛を失うことへの悲しみに対する共感の涙を流しながらも、「生きて欲しい」という切実な願いの涙を流して訴えたと思います。

 

でも、誰も私にそう言ってくれませんでした。

 

結局は本人が決めることだから、という押し付けたくない感情があったんだと思います。これって、しょせんはきらめき病院と同じスタンスで私に接していることになるんじゃないかしら。

 

実の父と母ならきっと必死で「生きて。そのお薬を使って生きて」と言ってくれたはずです。

 

私にはそういう家族がいないんだな、と寂しい気持ちになりました。

 

この旅は、遠方に住むいとこたちや叔父に感謝とお別れを伝えることが目的でしたが、私の心のどこかに、「イリノテカンを使うように背中を押して欲しい」という気持ちがあったのかもしれません。

 

十分に優しい心に触れた旅ではありました。でも一抹の寂しさはぬぐえません。