私は2023年7月5日(水)にきらめき病院で腹腔鏡下大腸ガン切除手術を受けました。
同年6月にS状結腸ガンが発見された時点でStage IVでした。
術後は2023年7月31日からXELOX療法で抗がん剤治療をしています。
時々、何のために生きるのかわからなくなります。
私にはこの世で後ろ髪を引く家族がいません。
それは寂しくもあるけど、心残りなく天国に行くことができる点では良いことだと思っています。
今、母を要介護5で特養に預けています。この母のことだけは気がかりですが、今の私には、時々お見舞いに行く以上のことはできません。ママ、そばについていてあげられなくて本当にごめんね。
遺言書も弁護士と作成して公証役場に登録済。
あとは、自宅の片づけ。でも住んでいる家の片づけってなかなか捗りません。片づけられなくても最後は許してもらいます。
こんな私はいったい何のために辛い抗がん剤治療を続けて生きているのか、よくわからなくなるときがあります。
友だちはみんな親身に案じて寄り添ってくれます。
そして一緒に楽しいことをしてくれます。
だけど、それはこの世への執着には結びつきません。
父を看取り、母も要介護5の寝たきりになって、年老いて生きることへの恐れの方が来年か再来年に死ぬことへの恐れより強いです。
両親には私という子どもがいたからいいけど、私には子どもはいません。
だから、高齢になって寝た切りになる前に死にたいです(ガンの末期は寝たきりになるかもしれないけど、それは仕方がないですね)。
初めて医師からどんなに治療をしても予後(余命)は、2、3年と告げられたとき、「おばあさんになる前に死ねるんだ、神様からのご褒美だわ」と思って本心で喜んだぐらいです。
よく「老後は施設に入る。迷惑をかけたくないから」という人がいるけど、「迷惑をかけたくない」は正直な本心ですか?
私は「不自由で、みじめだから介護される身になるのは嫌」が本心です。
「早く死にたい」とまでは言わないけれど、何のために抗がん剤治療で人生の時間稼ぎをしているのか、よくわからないというのが今の心境です。
予後が短く、近い将来死ぬことは受け入れていて、今のところそれは怖くない。
不安なのはそこに到達するまでの道のり。道のりを長くする意味ってある?
ドキドキCancer Journeyを軽やかに演出していけたら、そういう心細さも軽減できるのかな。
何のために辛い抗がん剤治療で時間稼ぎしているのか、やっぱりよくわかりません。
堂々巡り。