私は2023年6月にS状結腸ガンがStage IVで見つかり、既に肝臓、肺、リンパ節に転移しているため、根治は難しく、予後(余命)は抗がん剤治療をすれば2年から3年、無治療だと半年から1年と告知されました。予後の予想は病院によって2年、30か月、3年と異なりますが、あまり長く生きられないことは確かなようです。

 

親しい友人たちにこのことを伝えたら、その中の1人がエリザベス・キューブラー=ロス(1926年- 2004年)というアメリカの精神科医がその著書『死ぬ瞬間』の中で発表した死の受容のプロセスについて、教えてくれました。

 

エリザベス・キューブラー=ロスによると、たとえば末期がんを告知された患者がその現実を受容していくまでの心理的過程は次の通りです。

 

1.否認:何かの間違いだ。自分がガンなわけがない。

2.怒り:どうして私がこんな目に。

3.取引:治るなら何でもしますから助けてください。

4.抑うつ:もう耐えられない。どうにもならない。

5.受容:これも運命だから今を生きよう。

 

これを聞いて、私は最初から「受容」に至ったことがわかりました。

大腸内視鏡検査の最中に画面に映し出されている真っ赤な腫瘍を自分の目でみましたし、その後J大学病院で山ほど検査を受けさせられた結果、大腸ガンStage IVと告知されたので、「自分がガンなわけがない」と疑う余地はありませんでした。

 

また、「どうして私がこんな目に」とも思いませんでした。どうしてって、別に理由は無いです。ガンになることは日ごろの行いが悪くてバチが当たったわけでなく、また、どんなに健康に気を付けて生きている人でも、なるときはなるようです。だから、怒りも後悔もありません。

 

「何でもするから、どんな辛い治療でも受けるから何とか生かしてください」という気持ちは今もありません。私にとって「生きる」とは「健康な人と同じぐらい普通に暮らす」ことで、QOL(生活の質)を犠牲にする治療をして命だけ長らえても無意味だからです。これは、あくまでも私の場合は、ということです。将来を見守りたい子どもや孫がいたり、どうしても別れたくない人がいたら、どんなに辛い治療にも耐えるから、少しでも長く生かして欲しいと思っても当然だと思います。

 

抑うつには、今のところなっていないかな。「もうじき(死んでしまうと)私は仲間に入れてもらえなくなるのか」とたまに思って寂しくなることも無くはないですが、毎日やることが多いので、鬱になっている暇がありません。GODIVAのチョコレートを食べると機嫌が直ります。太るから1日2粒までね

 

そして、余命宣告された瞬間に医師の言葉を受容して、「長く生きる必要はありません。ただ、生きている間は積極的に活動できる期間をなるべく長くしたいです」と即答しました。

 

現実を受容することと諦めることは違うと思います。

現実をありのままに受け入れた上で、目の前の瞬間を積極的に生きようとすることが受容です。一方、「もう助からない。どうせ死んじゃうんだから」と消極的な気持ちになることが、私から見ると「諦める」ことです。

 

新しいドクターに出会うたびに、「私は長く生きる必要はありません。ただ、生きている間は積極的に活動できる期間をなるべく長くしたいです」とはっきり伝えてきました。

 

それを諦めと受け取って欲しくありません。むしろ、残された時間を大切に使い幸福感を感じて生きたいという強い気持ちです。自分が生きることにどれほど積極的な気持ちでいるか、こうして書いていてあらためてわかりました。

 

でも、最初から受容に至ったのは、私が立派人間からだではありません。そうした方が生きるのが楽だからにほかなりません。

 

私のドキドキCancer Journeyは、残された時間が短いからこそ「目の前の瞬間を楽しく積極的に生きたい」という気持ちに常に支えられています。

 

現実は、抗がん剤治療の副作用で身体がしびれて健康なときみたいに動けていません。休み休みです。

 

それでも、明日はどんなドキドキワクワクする瞬間に出会えるのか、とっても楽しみです。ラブラブ