母の家に居候をしていた時、子連れ離婚して大変だった頃、居候だった私に対しての姉と妹の嫉妬がものすごくひどかった。
祖母が死んで思い出の家も追い出された母をの生活で、ただの寄る辺なき老婆の母は私にしがみ付いてきた。
私は私で離婚して子供を2人抱え、辛くても涙も出ないくらいにひどい精神状態だった。
そんな、誰かに頼りたい二人だったが、親の方が立場が強くて、家に置いてやっている、家事育児わしてやっていると、恩を着せてしがみ付いてきた。
母とうまくいかない私は、姉と妹に助けを求めた。
でも「そんなにしてもらっていて羨ましい」と簡単に断られた。
じたばたしたけど、なお一層母は私にしてやっているのにと、しがみついてきた。
姉と妹の言うとおりだと、私の方が間違っていると考えたのだろう。
その頃の私は心療内科にも通っていたけど、カウンセリングなどなかった。
今は言葉に出来るようになったので書いておきます。
私の家族も家事能力も母が奪って、それでも足りずに私の心を空っぽにして、私の心にまで住み着こうとする母が、殺してしまいたいほどに憎い状態になっていた。
そこで私は、姉と妹に”三人で話がしたいので実家に帰ってきて欲しい”と提案した。
姉は『夫が言っておいでと言ったけど、行かなかった』と自分は間違っていないと言った。
妹は『夫が、”自分が行ってやろうか?”と言ったけど断った』と自分は間違っていないと言った。
この過去の出来事にモヤモヤしていた。
思ったのだけど、二人共実家から遠いところに住んでいて日帰りギリギリの場所だった。
日常的に会えない親だったら、話を聞くぐらいしかできないと思うけど、、、。
自分の話を聞かせる方だったらしい。
嫉妬と同時に、彼女たちが夫に対して実家の事で不利にならないように自分を守ったのだと思う。
夫に対して守ったけど、過剰防衛だと思う。
だって、夫婦は持ちつ持たれつだと思うから、、、。
そして嫉妬は余分というか、、、それって本当に私がしてもらう一方だという偏った考えだったという事で、、、フザケンナという感じ。
嫌いな親の介護などしたくないし、実際しなかったけど、逢わないといけなかったら叩いて虐待してやるという感じだった。
私でなくても、姉も妹も居るもの。
それと、母が私を覚えていなかったら嫌だとも思った。
義母は、痴呆が進んでからは息子(私の夫)の事は分かっていたが、義姉の事は分からなくなっていた。
救いは遺言書を作っていて、権利の部分は三等分になっていた事かな~。
義務の部分は姉と妹に委託していた。
権利が三等分でなかったら、裁判も辞さないと思っていた。
例え、、自費を払ってでもね。
あぁ~~、、、なんで思い出したんだろう~