遠縁ですが身内に不祝儀があったため、「おめでとう」なしとなりますが、

2022年もよろしくお願いいたします。

 

新年10日間たってしまってのご挨拶となりますが、本年もどうぞ仲良くしてくださいませ。

 

本年の実家で注文したおせち。

これで2人前なんですって。手が込んでるよね。

 

お屠蘇気分も終わったいまからしっかり活動していかなくては。

 

昨年から、いままでだったら「自分が我慢すれば波風が立たない。忍耐だ」というストレスを抱えたままの就労や人間関係の継続を辞めた。

自分の心が幸せになれない会社への所属、人間関係から離脱した。

振り返ったいまでも、会社についてはもちろんのこと、人間関係の清算も正しかったと思える。

 

友人に、相手の話す内容すべてを全否定するかたちで会話を進める人がいたのだけれど(これは私だけではなく、周囲もこの人の話癖を知っていて当たり障りなくつきあっている)、

その一環で、私だけでなく、私の友人知人の悪口まで言い始めたり、会話中も視線をキョロキョロさせて、まあ行儀の悪いこと。

何度となくそんな態度が続いて嫌な思いをしすぎたので、友人を辞めた。

 

どんなに根が良い人でも、欠点が致命的だったり、自分には攻撃に映るような態度を示す人からは我慢せずに離れるという意思を持てるようになったのは、ある意味、「成長」かもしれない。

職場でのつきあいなら、相手の良いところを認めて接していくのだけれど、友人関係に利害は発生しないから、自分の心を守り、人生を浪費しないためにも、早めに切ってもOKだと判断した。

 

それに、私がいなくなったところで、相手にとっては数多くいる友人の一人が消えるだけの話。

代わりはいくらでもいる。

何より、この手合いは案外しぶとい。

私の経験則上、どんなに酷い欠点を持っていても彼ら彼女らの周りから誰もいなくなったりはしないのだ。

したたかにうまいこと人間関係を回していけるので、楽しく人生を全うする。

だからこちらが消えても相手には支障が起きない。

だったら、被害が少ないうちに去るが勝ち。

私は友人になりたいのであって、サンドバックになりたいわけではない。

 

年初から長々と自己啓発系の記事になっちゃって申し訳ないですが(^_^;)

皆様は私のような環境にならず、心健やかな人間関係が迎えられますように。